健康法・美容法を試すのが大好きで、今までに実行したことは、多岐にわたる。
そんな経緯を経て、今は、かなり“ゆるく”なっている気がする。
厳格に食事・生活を管理したこともあったけれど…
- 「こうでなくちゃいけない」
という縛りは、人の心を固くする。
今まで、いろんな健康法や美容法を試してきた。
生半可にかじっても、その真意を理解することはできないだろう。やるときは徹底的にやってきた。
いろいろな経験を経て、今、たどり着いているのは、
- ほどよく ゆるく
- 心地よさを大切にする
- ストイックすぎるルールを作らない
というスタンス。
「あとは自分の体と心に任せたい」という心境へ、変わってきた。
いろいろな経験を自分にさせたということは、自分の体と心に十分な選択肢を提供した、ということ。
だからこそ、自然に体と心が求める方へとユラユラ揺れていれば、うまくいくようになったのだ。
「恐れ」の気持ちから縛りすぎると逆効果になりやすい
最近、心底感じているのは、
- どんなに素晴らしい健康法も、「恐れ」の気持ちで行うと、毒になる
ということ。
例えば、楽しくてウキウキしながら行うマクロビは、体をどんどん健康にしてくれるだろう。
しかし、「あれもダメ」「これもダメ」「それを食べたら病気になる」と、「恐れ」を行動の基点にすると、体はどんどん萎縮してしまう。
時々、
- 「●●の健康法を厳格に行っていた人には××の病気になる人が多い」
- 「●●の創始者が早くに亡くなった」
とかいう話が、その健康法を否定し、他の健康法を肯定する文脈で使われることがある。
でも、健康法が毒なのではない。
毒があるとしたなら、その健康法にしがみつく「恐れ」だと思う。
自分にとってのベストは、ひとつの流派とは限らない
もうひとつ、大切なことは、
- 自分にとってのベストな健康法・食事法・美容法が、ひとつの流派におさまるとは限らない
という点だ。
多くの流派が、「自分の流派が正しくて、他の流派は間違っている」という主張をしがち。
しかし、誰かが作った誰かのための流派が、自分にベストマッチな確率なんて0%。
各流派から、ちゃっかりいいとこ取りで、〈自分専用のハイブリッドな方法〉を創造するのが、一番いい。
だから私は、何かひとつの方法にこだわることなく、〈自分にとっての現在のベスト〉を選択するようにしている。
このブログでも、時期によって、やっていることが違っているかもしれない。
それは、手法という一貫性よりも、「自分にとっての心地よさ」という一貫性を優先した結果。
これからも、新たな方法に出会うかもしれない。引き続き、ゆるゆると、自分ベストを更新していけたらいいな、と思う。