今日は個人的な話。
〈クリスマス・お正月・誕生日など、楽しい日に限って嫌なことが起きる〉となぜ私が思っていたのか、わかった。
楽しい日が最悪な日になる呪い
子どもの頃、「クリスマス」「誕生日」「お正月」などは、特別な日と感じるものだ。
自分が主役になれて、ごちそうが食べられて、プレゼントやお年玉がもらえる。
ただ、私には、
- そういうスペシャルな日に限って嫌なことが起きる
という、無意識下の思い込みが長くあった。
実際に、そういう日に限ってけんかしてしまったり、落ち込む出来事が起きたり。
自分のネガティブな思い込みで引き寄せていたわけだけれど、そんなこともつゆしらず、当人は、
- 「ほら、やっぱり嫌なことが起きた」
……と、そのネガティブな思い込みを、どんどん増強させていった。
- 特別なお誕生日なのに
- 楽しいクリスマスなのに
- せっかくのお正月なのに
……最悪だ。という気分を、何度味わっただろう。
ふと気付く。「年末年始のせいだ」
今はもういい大人なので、さすがに「私のお誕生日なのに!!」とか「クリスマスなのに!!」とはならないが、うっすらと、
- 「楽しい日に限って嫌なことが起こるんじゃないかという不安」
を、いまだに抱えていることには気付いていた。
直接的には、子どもの頃、クリスマスやお正月に、両親がよく大げんかしていた影響だった。
それで、楽しみにしていた日が台なしになるという経験をよくしていた。
子ども心には、なぜ私の楽しみにしていた日に限って親がけんかするのか、意味がわからないから、どこかで自分に原因があると思い込んでしまっていた。
でも、ふと気付いた。クリスマスやお正月に両親がよくけんかしていたのは、私のせいではなく、年末年始のせいだったのだ。
母親がやけに12月後半から機嫌が悪くなっていたのは、私のせいではなく、義実家・親戚付き合いを濃厚にしなければならない年末年始が近かったから。
いろいろ問題があって折り合いが悪かったので、その時期が近づくと、母親は不安定になっていたのだろう。
そんな背景を理解できない子どもの私は、自分に原因があると思い込んでしまったようだ。
いつの間にか自分のせいにしていた思い込みを手放す
客観的に見たら、なんてことない話かもしれない。
でも、私はこのことに気付いたとき、かなりハッとした。
たぶん、私たちの苦しみの元となっている固定観念のほとんどは勘違いなのではなかろうか。
こんな子どもの頃の小さな勘違いを、無意識のうちにずっと胸に抱えたまんま、大人になって生きづらいなんて、もったいなさすぎる。
思い込みは、気付いて光を当てると、サーッと消えていく。思い込みが消えた分だけ、軽くなる。