運動も仕事もこなす時間のやり繰りや続けるコツ─廃人化していた私が動けるようになった経緯

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管理人様は毎日運動もブログも書いておりすごいなぁと思ってます。毎日、運動もブログ、そして仕事も沢山のこなす上で時間のやりくりや続けるコツ、工夫などがありましたら教えて頂きたいです。また、私は以前摂食障害を経験しており、今は克服しております。しかし、摂食障害を経験してから自分自身の頑張りがきかないように感じていて、頑張りたいと思ったことがなかなか続けられません。管理人様はそのようなことはありましたか?

がんばれなくなった自分が、また動けようになるまでに何をしていたのか。

目次

まったく頑張れずに廃人化していた時期がある

ご質問を読んで、以前、まったく動けない時期があったことを思い出していた。

「何でもないこと(=超単純作業の事務処理とか、はがきを1通返信するとか)」ができない。仕事もプライベートも、「やらなくちゃ」が積み重なる。

そのくせ、なかなか眠ろうとすることができず、明け方3時4時までネットをして過ごす……みたいな時期があった。

お風呂に入るのはとくに面倒に感じて、誰にも会わない日は、ぐっちゃぐちゃで過ごしていた。

帰宅したら、着替えもせず顔も洗わずソファに倒れて、スマホいじりながらウトウトして、朝になったら無理やり熱いシャワーで目を覚まして、また出勤……というような。

なんとか外面の体裁は整えていたけれど、中身は廃人化していた。

自分の性格の問題として努力するのをやめたところがターニングポイントかも

当時、そういう自分は、ダメな奴だと思っていた。

評価を求めてブラックに仕事に励み、それなりに責任のある立場になった。しかし「本当の私」は、どうしようもない奴だと思っていた。

外面をいくら評価されても、それは「うその私」のように感じた。全然受け取れなかった。

そして、「そんな自分を直さなければならない」と、強烈に思っていた。キーワードは「直す」。

「自分はダメだから直さないといけない」と、いつもいつも、思っていた(子どもの頃からそうだった気がする。自分が悪いから直さないといけない、と刷り込まれていた)。

性格の問題ではないのでは?という気付き

それがあるとき、きっかけは忘れたが、

  • これは私の性格の問題ではないのではなかろうか

という観点に立った努力を始めたのだ。

その頃、イライラ感・憂うつ感・緊張・あがり症・不安・心配……など、自分の性格でいろいろ苦しかった。なんとか解決したいと思っていた。

いくら直しても直らない私が本当に直すべきは、自分の性格ではなく、「外側の環境」と「内側の環境」なのではなかろうか?と。

内側の環境を整備する

最初の頃は、心療内科に頼った。薬によって、内側の環境改善を図りたいと思ったからだ。抗うつ剤や抗不安剤が処方され、服用していた時期がある。

ただ、薬は私にとって諸々の問題があったため断薬。その後、サプリメントや食事療法を研究するようになった。

サプリメントや食事療法をあれこれ試した結果、「内側の環境」を変えることで、私が自分の性格だと思っているモノは、いとも簡単に変わることがわかった。

少し具体的例を挙げると、私は糖質に弱いようで、糖質制限の食事に変えたら、かなり動ける人間に変わった。サプリメントは、亜鉛・マグネシウム・鉄分などに助けられた。

人によって合う・合わないが顕著に出る領域なので、特定の何かが効くとはいえないが、「栄養」という観点で自分を見直すことは、人生を変えることもあると思う。

私は、

  • 「自分はがんばれない性格だ」と思っていたら単に亜鉛不足だった
  • 「自分は短気で怒りっぽい性格だ」と思っていたら単に鉄分不足だった

……みたいなことを、とても実感した(繰り返しになるが、どの栄養素がどう影響しているかは人による)。

外側の環境を整備する

次に、外側の環境について。

忙しすぎる仕事はパス

廃人化していた頃にしていた仕事は、忙しすぎた。だから、仕事は変えた。そこには決断や勇気が必要だったけれど、あのとき踏み出して良かったと心底思う。

体や心を壊してまでしなければならない仕事なんて、世の中にはないということが、よくよくよくわかった。

まして、最近は「新しい働き方」を提唱する著名人や、それを提供する会社がドッと増えている。その時代の波に乗ってみるのもアリだと思う。

日々の生活で省略できるものはどんどん省略する

美容でも家事でも、日々「効率化」を行っている。

「これってやらなくてもいいんじゃない?」

と思ったら、やめてみる。

たとえば、服にアイロンをかけるのが嫌いなので、アイロンをかける必要のある服は買わない。野菜や果物の皮はできれば剥かない(皮に毒がある・おいしくないなどの不都合があれば別)。バスタオル・バスマットは使わない。などなど。

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効率化の工夫をしないで「できない」が積み重なると、ただのズボラ状態になって、結局ストレスが溜まる。でも、「やらないで済む状態」を工夫して作り、「やらない」にすると、とてもラクになる。

家電には投資する

「やらないで済む状態」を作る工夫の一環として、家電には投資することにしている。私はブランドのバッグよりも先に、家電を優先して買いたい。自分のコストを考えると、そのほうが経済的だからだ。

ロボット掃除機、ドラム式洗濯乾燥機、食洗機は必需品。これらのおかげで、ほとんど掃除洗濯に、労力かけずに生活できている。

洗剤はかけるだけ・スプレーするだけタイプを愛用

トイレ掃除やお風呂掃除など、家電による全自動化ができないところは、

  • スプレーするだけ
  • かけるだけ

タイプの洗剤を愛用している。最近は、「こすらずOK!」と訴求されているタイプの洗剤が販売されているので、とても助かる。

夜は24時までに寝て朝出かける前の時間を活用

次に「時間のやりくり」について。

ひとつ決めているのは、

  • 24時までに寝る

ということ。

これを徹底するようになって、グッと時間が有効に使えるようになった気がする(感覚として一日の時間が長くなった)。

昔の私は、完全なる夜型。夜に好きなことを始めると、そのまま、エンドレスでやりたいだけやってしまう。それをスッパリやめて、夜はシンプルに寝ることにした。22時を過ぎたら「もう寝なくちゃ」という気持ちになり、24時までに布団に入る。

好きなことは、朝起きて、出掛けるまでの間にする。「“出掛けるまでの間”という制限付きの時間」というのがミソ。制限があるからこそ、ギュッと濃厚な時間になるし、ダラダラ際限なく続くことがない。

摂食障害の後からがんばれるようになるまで

摂食障害について。たしかに、私もがんばれない時期は、摂食障害の最中〜後と重複しているように思う。

体と心の状態が回復するまでには、年単位の時間がかかって当然だし、むしろそこはかけたほうが良い気がする。

摂食障害の間にすっからかんになってしまった体内の栄養素を、自分に合う食事法やサプリなどで補給しながら、のんびり構える。後述するが、「無理しないこと」「自分につらい思いをさせないこと」が、鍵になる。

無理しないから続く、続けたいことこそ絶対に無理しない

「何かを続けるコツ」について、私の場合は、

  • 自分に無理強いするのを一切やめた

というのが、重要ポイントだったかもしれない。

がんばって、つらい思いをして、無理にやる」というのを、一切やめた。自分につらい思いをさせていないから続く、という仕組みだ。

具体例として、昨年、ランニングする気がなくなったときも、「走りたくないのにがんばって走る」は絶対にしなかった。むしろ、「走りたくないけどがんばって走ったほうが良いかな?」と思う気持ちを抑えることを、がんばった。

結果として、ランニングの心地よさの記憶だけが私に残るから、自然と春先に走りたくなって、今また走っている。

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逆にがんばって自分につらい思いを体験させてしまったことは、ひとつも継続できていない。

そのカラクリがわかってからは、継続できないことがあっても「がんばれない自分」と思わないようになった。継続の仕組み作りがうまくいかなかっただけで、私自身の問題ではないという感覚。

今は、〈続けたいことこそ、余力を残してやる〉、楽しい範囲でしかやらないようにしている。この点においては、常に自分の様子を観察して、細心の注意を払っている。

言い換えれば、

  • がんばりたいと思ったことを続けるためには、がんばらないこと

が、コツだと思う。

  • がんばりたいと思ったことを続けるためには、できるだけ自分に「快」を感じさせること

手を抜きまくってユルユルで良いので、気持ち良い範囲で。それ以上に、自分に無理させないことをがんばる。

そこを徹底していると、自然に体が動き出す転換点が訪れる。そしたら、そのまま流れに乗っていくだけだ。

ちなみに、転換点が訪れず流れに乗れないものは、ほうっておく。いつか流れが来るかもしれないし、来ないかもしれない。それは体の判断に委ねて良い気がする。

私たちの体は、本当にたくさんのことを、知ってくれているから。

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