『人は、やったことより“やらなかった”ことで後悔する』とよく聞く。
しかし、私は日々「過去のやってしまった後悔」にとらわれている気がする。
やって後悔するくらいならやりたくない
記憶力が良いのか、執念深いのか、性格がドロついているのか、過去を忘れるのが苦手だ。
「現在」に大きな問題がなく悩みのネタがない状態(=脳がヒマな状態)に陥るとすかさず、脳は過去にさかのぼって、悩みのネタを探してきてくれる。
現在の悩み・苦しみに夢中だったときには気にも留めなかった過去の出来事がリアルに思い出されて、
- なんであんなことしちゃったんだろう
- 変な恨みを持たれたりしていないだろうか
- 私は罪悪感を持ち続けるべきなのか
など、延々と悩み続ける。
だから私は思う。
やって後悔するくらいなら、やりたくない。切実に。
放っておくと悩みたがる脳
〈過去にやったことを後悔する脳〉を持つ私は、その苦悩からどうやって抜け出そうかと考えてきた。
ひとつ、気分が楽になった発見がある。
- 脳は放っておくと悩みたがる習性がある
ということだ。
脳は悩みたくて仕方がない
「悩みのネタがなくなれば悩みから解放される」と信じていた。
悩みのネタが「過去にやったこと」だった場合、それをなくすことはできない。過去を今から変えることはできないから。
だからこそ悩んでいたのだけれど、仮に悩みがなくなったところで〈悩みがない状態の脳〉をケアせずに放置しておくと、また勝手に悩み出すということがわかった。
ヒマな脳にまかせておくと脳は苦悩し、悲しみや怒りへと浸っていく。
悩みのネタの有無と気分は関係がない。
悩みのネタがあろうがなかろうが、脳にまかせておくと気分は不機嫌方向へと流れていく。
どうやらそれがナチュラルらしい。悩まないためには、意図的に楽観的な方向へと舵を切り続ける必要がある。
積極的に上機嫌を作る
「上機嫌」を作るためには積極性が必要なのだ、とつくづく思う。
なかには、生まれつき(あるいは育った環境によって)ベースが上機嫌な人もいるのかもしれない。
しかし、ベースが不機嫌脳の私は、積極的に意図的に意志を持って上機嫌を構築していく必要がある。
この取り組みの最初は、上機嫌を維持するために必要な筋肉がないので大変だ。
でも継続するうちに、どんどん簡単になっていく。筋トレと同じ。
脳を空っぽにする
積極的にヒマな脳を上機嫌な方向へ引っ張っていくアプローチの他にもうひとつ、「脳を空っぽにしておく」のも有効だと思う。
ヨガとか瞑想とか何かに夢中になることが、これに当たる。
意図的に空っぽになることで、悩みたがる脳を休止させてしまう。
「やらなくて後悔したことがない」のは長所か
ところで、「多くの人は死ぬときにやらなかったことを後悔する」という文脈で「やらない後悔」の話を聞いて、
- 私は死ぬときに何かやらなかったことを後悔するだろうか?
と考えてみた。結論、
- 「後悔することはないな」
と思った。
自分でもびっくりするくらい「アレをやっておけば良かった」と思うことがない(繰り返しになるが「やらなきゃ良かった」と思うことばっかりだ)。
行動力のある人間とは思わない。インドア派だし。
ただ、人生の節目で本気でやりたいと思ったことは、全部やってきた気がする。
だからこそ、やってしまった後悔も多い人生と思えば、それもまたOKなのかもしれない。