ちょっとおもしろい意識の変換が自分の中で起きて、そこから急に緊張感がなくなった話。
人前で緊張しない方法を探し求めた日々
あがり症の悩みが深くなったピークは5〜6年前くらいだと思う。
自分の意志と反して、人前で話す仕事がどんどん増えた。
できない自分を見せるのが怖くて、周囲の評価と本当の自分の辻褄を合わせるために、疲弊した日々だった。
緊張しない方法は、たくさん試した。このブログでも、いろいろな記事を書いた(記事一覧はこちらから)。
必死で対処法を身に付けてきたおかげで、緊張が原因でボロボロになるほど落ち込むことはなくなった。
それでも、完璧にゼロとはならないから、うっすら抱えつつ過ごしていた。
意識が変わる前日に緊張感を手放すワークをやっていた
ネガティブな感情や記憶やトラウマをクリアする(手放す、浄化する)手法は、いろいろな分野にある。
医療・催眠・心理学・スピリチュアルなど、さまざまなアプローチで存在する。それだけ効果的なのだろう。
私もいろいろな分野でそれ系に触れてきて、いつの間にか自己流のワークを作り上げていた。
それは、
というもの。
自分がドラム缶のように筒状になったイメージで、そこに詰まっている瓶入りのプルプルのプッチンプリンみたいな物体(=ネガティブな手放したい気持ち)を、スッポーン!と頭の上へ出す感じ。
ファミマで売っている「俺のプリン」が筒の自分から抜け出るイメージに近いかも。
自己流なので正解は特にない。何となくスッキリした感じがすればOKとしている。
なぜこの話を書いているかというと、この後に書く「急にもう緊張するのやめようと思った意識転換の日」の前夜、この自己流ワークをやりながら寝たからだ。
「もう緊張するのやめよう」という心の声が浮かんだ
自己流ワークを行って眠った翌朝、ワークのことはすっかり忘れたまま、起床していつも通りの活動開始。
日中にちょっとした緊張シーン遭遇した。
いつもなら、内心ドギマギしながら、それが表面に出てバレないように惨めな努力をするところだ。
ところがこの日はまったく違っていた。
- 「もう緊張するのやめよう」
という気持ちが、心にふっと浮かんだのだ。
あがり症を克服しようと人一倍がんばってきた私だが、「緊張するのやめよう」と思ったのは生まれて初めてだった。
パッと見は、何でもない一言に見えるかもしれない。
が、実は大変に大きな心の変化(改革といってもいいくらい)を、この一言は表していたのだ。
それまでの私が抱えていた気持ちは、こんな感じ。↓
- 「緊張したくない」
- 「緊張したらどうしよう」
- 「緊張しないようにしなければならない」
- 「緊張したら嫌だ」 etc.
これに対して、
- 「もう緊張するのやめよう」
……この言葉の、なんと能動的・主体的なことか!
- 「緊張状態を選んでいるのはこの私で、緊張するかどうかは私の意志によって選ぶことができる」
という意識状態に立っていないと出てこないフレーズだ。
今まで、自分の意志で何とかしようとしては、手ひどく敗れてきた。
自分の意志とは異なる、他の力や他人によって、緊張感やあがり症を押しつけられ、被害に遭っているかのごとく意識でいた。
- 「被害者たる私が、どうやって襲ってきた緊張感と戦っていけば良いのか」
というスタンスだ。
それが、一夜にして、
- 「緊張するのもしないのも、自分で選択することができる」
- 「もう緊張するの、やめよう」
と変わったのだ。
この意識状態に立つために役立っていたのが、前日の緊張手放しプリンワークだった。
それから私は、緊張シーンに差し掛かる度に、自分にこんな言葉を掛けられるようになった。
- 「もういいよ、緊張しなくて」
- 「危なくないから緊張しなくて大丈夫だよ」
- 「もう緊張するのやめよう」
すごく気持ちがホッとして、あの緊張する嫌な感じが、涌いてこない。
これに加えて「緊張しない体の使い方」をやると、もうほぼ大丈夫になった。
反応しないで生きる
「出来事に対して反応的ではなく主体的であれ」とか「反応しないで生きる」という概念をすでに知っていたことも良かったのかもしれない。
「反応しない練習」を初めて読んだときは、とても心が楽になった感じがした。
概念として思考の中にインプットされていたものの、心に落とし込めていなかった分を、プリンががつんっ!と落としてくれた感じがする。
他のネガティブ感情にも使える
今回の私は「緊張感」で体験したけれど、同じ仕組みは他でも使える。
怒りも悲しみも不安も心配も嫉妬も……、目の前に起きる事象は選べなくても、それに対して感じる感情のすべては自分で選ぶことができるという立ち位置に立つと、風景が変わる。
絶望のどん底から這い上がるときに、そういう考え方に必死でしがみついて、がんばったことはある。
でも、そんなときじゃなくても、平常時から心の鍛錬を続けていくことで、柔らかくてしなやかな精神の持ち主になりたいと思う。