人間の脳って悩ましくできている。
頭の中を占めていた目の前の悩み(体型とか仕事とか人間関係とか…)がいったん解決したところで、心の平安が訪れるとは限らない。
ある一定レベルまでは常に悩みたがるのが脳の常で、ある悩みが解決したら、次の悩みが現れる。
最近の私は、目の前の悩みは少し減ったのに、過去のイヤだったことがひたすらに思い出されて、苦しんでいた。
思い出したくない人が日常生活の中で何度も登場する
イヤだった場面、トラウマな出来事、心蔵がギュッと縮んだあの人の表情……。
もう過去のことなのだから、忘れてしまえばいい。
それなのに、日常生活のちょっとしたシーンをきっかけとして、何度も思い出してしまう。
特定の人物に現在が浸食される
最近は、特にある特定の(過去の)人物に、現在の生活が浸食されていた。
ある食べ物やら地域やら映画やら音楽やらに紐付いて、特定の人物とそれにまつわる記憶が呼び起こされる。
私は現在にいて、過去のそれらとはもう関わりがないのに、現在までもネガティブな感情で邪魔されてしまう。
嫌だと嫌だと避けようとするほどに思い出すことが癖になって、条件反射のように呼び覚まされる記憶の反応が、ひどくなっていった。
思い出すのを嫌がるのをやめる
解決したいとアレコレもがいた結果、ひとつの方法にたどり着いた。
それは、
- 思い出すのを嫌がるのをやめる
という方法。
- 「それができないから悩んでるの!!!」
と突っ込みたくなるところだが、ちょっとニュアンスが違う。
意識から追い出すために嫌がるのをやめる
嫌なことばかり思いだしてツラいと思っていたが、嫌なことばかり思い出しているのではなかった。
日常生活の中で目や耳に入るありとあらゆる物に刺激され、私の脳は常時、無数のことを思い出している。
嫌なことも、あの人物のことも、良いことも、悪いことも、この瞬間にたくさん思い出しているのだ。
違いは、思い出したことを意識しているか・していないか。
通常、思い出した瞬間からそれらは流れ、意識上にあがってこない。
いちいち、いま何を思い出したかなんて意識していない。
嫌なことを思い出すのが嫌だから、嫌なことを思い出すことに対して意識的になっているだけだった。
ということは「嫌なことを思い出すのが嫌だ」というこだわりを手放せれば、嫌なことを思い出しても意識的にならず、瞬時に流れていくことになる。
(イコール、嫌なことを思い出していないような感覚でいられるはず)
嫌な記憶も苦手な人物も思い出すのは当たり前
嫌な記憶や苦手な人物のことを思い出すたびに、
- なんで思い出しちゃうんだろう!
- 思い出したくない!
- 思い出さない状態になりたい!
と思っていた。この部分の認識を、ちょっと変更した。
嫌なことを思い出すのは普通のこと
嫌な記憶も苦手な人物も、思い出すのは当たり前。
私がそれらを思い出すのは異常ではない。
良い記憶も好きな人物も、平等に同じ分量で思い出している。
嫌な記憶も苦手な人物も思い出すのは普通のこと。いちいち悩む必要ないし改善する必要ない。
(信じられるかどうかは置いておいて、とにかくそう思い込む)
この認識設定ができたとき、だんだん嫌なことを思い出す頻度が減っていった。
正確には、思い出しても意識しないから、悩みの対象となる前に脳裏から去って行くようになった。
癖になるとやっかいだから粘り強く癖をなくしていく
「嫌なことを思い出す」思考回路は、一種の癖のようなものだ。
「●●を見る度に××を思い出す」という回路が一度できると、それを繰り返し味わう(=嫌だ嫌だと思考で思い悩む)度に、どんどん回路が増強されてしまう。
回路を封鎖するには、粘り強さが必要だ。
今回、「思い出すのを嫌がるのをやめる」という方法を始めてから、かなりしつこく徹底した。
思い出す度に嫌がらない、嫌がらない、嫌がらない……と繰り返す度に徐々に薄まって、最終的にほとんど気にならなくなった感じ。
とにかく癖にしないことが大切
既存の癖には粘り強く抵抗して、癖を強化しないように気をつける。
同時に、新しい癖ができないように、癖になりそうな思考回路は即座に手放すのが大事だなと思う。