今月の質問回答。
モチベーションというよりコンプレックスのかたまりだったから
10代から現在までの長い期間、ダイエットを始めとする美容的な努力に時間を割いてきた。
それは「私自身が美しくありたい」という崇高な精神では決してなく、とにかくコンプレックスのかたまりだったからだ。
コンプレックスを強く抱える直接的な原因になったのは、育ちの過程で自己肯定感がうまく育たなかったからだと思っている。
今思えば気にするほどではない容姿のパーツ・声・姿勢・しぐさ・しゃべり方から性格まで、たくさんのことを自己否定の原料にしてきた。
そんな自分のまま生きていたら苦しい。
苦しさから逃れたい一心で、ダイエットに励むなどして「嫌いな自分を変えよう」と努力してきたように思う。
正しい美容に邁進してきたわけでもない
今でこそコンプレックスも落ち着いたけれど、正しい美容に邁進してきたわけでもない。
行き過ぎたダイエットは摂食障害という形で、新たな苦しみとなって私の芯にこびりついたし、即効性を求めて無理をし過ぎる傾向は長年の癖だった。
周囲の刺激によってもたらされる強烈なモチベーション
コンプレックスを軸として美容に励む私は、どうしても周囲の環境に振り回されやすかった。
例えば職場に肌がものすごくキレイな人がいると、私も同じような肌が欲しいと思った。
脚が異様に細い人がいると、私ももっと細くなりたいと思った。
- 「●●さんは本当にスタイルがいいよね」
- 「○○さんはやっぱり美人だ」
など、女性の容姿に言及する人がいるときには、そのデリカシーのなさに怒りを感じながらも、私も評価されたいと思った。
このような他人から受ける刺激は、美容的努力をするための強烈なモチベーションになっていたが、同時に痛みももたらしていた。
徐々に刺激から距離を置くようになり、今はできる限り「他人の目」に振り回されないよう気をつけている。
今は自分のことを大切にしたい気持ちが美容にもつながっている
そんな背景がありつつ、今もダイエットやら運動やら美容を続けているのは、
- 「自分のことを大切にしたい」
という気持ちからきている。
私はあまりに自分を粗末に扱いすぎた。
このブログを始めてから(2016年〜)の私は、ある程度コンプレックスや自己肯定感の問題にけりをつけた後だ。
でも、以前の私が私にしてきたことを忘れてはいない。自分に大変申し訳ないことをした自覚がある。
あんなにひどいことをしてきたのに、よくここまで健康な体に復活してくれたものだと思う。
いま行っている美容は「自分のケア」という側面も大きい。
一度ボロボロになった肌、手脚、髪、爪、体、心……を、できるだけ大事にしたい。
年齢を重ねるごとに弱ったり衰えたりすることから、できるだけ守りたい。
自分の望む状態で心地良く日々を過ごすことが、心の安定感をもたらしてくれることも知っている。
念のため付け足せば、「純粋に美容が大好き」「ダイエットはライフワーク」というカラッと明るい気持ちは、当然ある。
ただ、改めて振り返れば、その裏側に隠れている自分への贖罪意識も大きいことに気づく。