質問回答。
食に関することが面倒になる時期はあった
回答にあたって質問の部分を抜粋させていただいた。
- 面倒くさくて、バイキングに行きたくなってしまいますが、そんな時期ありませんでしたか?
こちらにお答えすると、ものすごくあった。
というか、ちゃんと自分のためだけに食事を用意してOKな気持ちになれたのは、ここ数年のような気がする。
私自身は、昔から料理が好きだった。実家にいた頃には家族のために料理を作っていたし、実家を出て一人暮らしを始めてからも、人にふるまうために作るのは好きだった。
しかし、自分ひとりが食べるために食事を準備することはできないという年月が、非常に長くあった。
できるのは、せいぜいご飯を炊飯器で炊くことくらい。
それは面倒でできないというよりも、
- 「自分なんかのために、ちゃんとしたご飯なんて作ってあげる価値がない」
…と思っていた節がある。うーん、表現が難しいが。
人のためなら手間暇かけて準備してあげられるのに、自分のためにそれをやることができない。
例えば、人の洗濯物ならキレイに畳んであげられるのに、自分ごときの洗濯物をきちんと畳んであげる価値がないと考えている。
自分ひとりのためだけに“ちゃんとしたご飯”を準備することに対する罪悪感があって、謎の罪滅ぼしのように手間暇のかからない簡易的な食事をしていた。
コンビニで買うとか、宅配を頼むとか、ファミレスに入るとか。
“面倒である”というだけではない理由で、“あえてちゃんとしない、自分のために労力を使ってあげない”という部分があった。
その一方でお金をかけることには無頓着というアンバランスさもあった。
「自分なんかにお金をかけたら無意味だ」という思考があったら、お金を節約してどんどん貯まったのだろうが、あいにく、その思考はないのだ。
「手間暇をかける価値はない」と自分を切り捨てているくせに、お金は使う。
だから、手間暇をかけずに食べられる高価なフルーツとかナッツとかチーズとか、そういうものは平気で買っていた。
少しずつ自分のためにやってあげられることが増えてきた
摂食障害から少しずつ抜け出すとともに、少しずつ、自分のためにやってあげられることが増えてきた。
最初は、食材を電子レンジで調理するところから(火を使ってフライパンでわざわざ調理するよりは、電子レンジの方が、自分に手間をかけていない感じがしてハードルが低かった)。
今は、自分ひとりのためにフライパンでお肉をソテーすることができる。
こんなこと、なんでもない当たり前のことかもしれないけれど、私は長年できなかった。
繰り返しになるけれど、「面倒でできない」のではなく「自分に手間暇をかける価値がないと思っているから罪悪感でできない」のだ。
面倒なのは自分に手間暇をかけたくないからかも
もちろん、人によっていろいろな事情も思考回路も考え方のクセもあるから、どんな背景があるのかはわからない。
もし私の経験になぞらえて考えるなら、
- 食事に関することが面倒
という気持ちが強いときは、
- 自分を大事にしたくない
という気持ちなのかもしれない。
思うように体重コントロールするのも1つの手のような気がする
こんなことを言ったら、精神科医や心ある人たちに怒られてしまうかもしれない。けれど、摂食障害の患者がメンタル的な落ち着きを得るための1つの実践的な方法は、
- 思うように体重コントロールしてみる
…ということかもしれない、と私自身の経験からは思う。
私は今、メンタル的に落ち着いている。自分のことを大事にできている。コンプレックスもだいぶ薄れた。自己肯定感ある。
でも、それって、痩せているからなのだ。たぶん。
私が摂食障害で狂ったようなメンタルになっていたときは、飢餓からの回復でとてつもない食欲に襲われて、自分の食と体重がコントロールできなくなっていたとき。
そして落ち着いた気分になれたのは、そこから抜け出して食と体重をコントロールできるようになったとき。
その自信が、私の根源的な自己肯定感へもたらした好影響も無視できないと思っている。
(もしかしたら危険なことを言っているかもしれないが)
病的な低体重への執着さえ手放すことができれば、一般的に細いといわれる程度の体重は、摂食障害をやらかさなくても実現可能。
そう心底信じて「まじめにダイエットを見直してみる」というのも、摂食障害を抜け出す道のひとつなんじゃないか——と思う。
ただ、私自身がたまたまそうして成功しただけであって、もしかしたらそれはただのラッキーで、ほかの人には当てはまらないのかもしれない。
だから安易に人に勧めたりはできないけれど……。
あとは、
- BMIが今低いのでパニックになってるのもありますが、
…と書かれていたが、コレはとても重要なポイントだと思う。BMIが低すぎるときは、私もメンタルが超最悪だった。サプリを飲んでも食を変えても何をしてもダメだった。
先ほど、「病的な低体重への執着さえ手放すことができれば」と書いたけれど、病的な低体重・低すぎるBMIと、メンタルの安定は共存できないと思う。
逆にいえば、そこさえクリアできれば「細い体のままで、摂食障害じゃない人」に着地することは夢じゃないと思う。
私がこのブログで繰り返し書いてきて伝えたいのは、
- デブになるか
- 摂食障害を続けるか
の2択ではないですよ、ということ。白か黒かで考えずに、真ん中のグレーに着地する。
摂食障害の人にとって、一番難しい思考方法かもしれないけれど、少なくとも私はグレーに着地して、まともな生活を送れるようになった。