「思い出したくないこと」を思い出さないためには、思い出さなければOKだ。…禅問答みたいだけれど。
しかし、日々の生活のなかに、思い出すトリガー(引き金、きっかけ)がある場合、“思い出さないこと”が難しい。
そんな悩みにひとつ、解決策を見いだしたかもしれない。
「家事」の動作がトリガーになる思い出し
私が困っていたのは、特定の「家事」における動作がトリガーとなり、思い出される記憶だ。
3つくらいある。
1つめは、キッチンの銀色のシンクをスポンジで磨いているとき。
2つめは、キッチンの食器用洗剤を詰め替えようとしているとき。
3つめは、お風呂のお湯を抜いてバスタブ内にシャワーをかけて予洗いしているとき。
それぞれ、「思い出したくない人」「言われたくない言葉」「葬り去りたい過去のワンシーン」と紐付いている。その動作をするたびに思い出してしまう。
思い出さないようになるためには思い出さないことが大事
冒頭のフレーズになるが、
- 思い出さないようになるためには思い出さないことが大事
…だと思う。
どんなに嫌な思い出も、どんなにつらい出来事も、その事象から(物理的・時間的)距離を置き続けることが、「忘れる」ための効果的な方法だ。
離れて、離れて、離れて。離れ続けると、いつか思い出さないようになれる。
日常のなかにトリガーがあるという、やっかいさ
思い出さないためには、思い出す“きっかけ”を遠ざけることが大事だ。
見ると思い出す写真や思い出の品は、捨てるか、場所さえわからない奥地にしまう(しまってある棚を見るだけでも記憶発動するから、それさえ見えない場所へ)。
ところが、だ。
- 排除できない日常生活のなかに、思い出すトリガーがある
という記憶は、やっかいだ。
キッチンの銀色シンクやお風呂場のバスタブを、見えない奥地へ捨て去ることはできない。
さらにやっかいなことに、思い出したくないコトは、繰り返し思い出せば思い出すほど、どんどん強く思い出すようになっていく。
本当は、記憶が強固になる前にサッサと忘れてしまうのがいい。それができずに定着した記憶は、ただでさえ手強い。
それを日々、思い出していたら、本来の問題以上に問題になっていく。
本当はサッサと忘れてしまえたかもしれないレベルの、些細な遠い昔の出来事に、安全だったはずの今日という現在までが脅かされていく。
なんとかしたいと思うようになる
たとえば、もう10年以上前の記憶で、その後5年くらい何でもなかったはずなのに、最近になり繰り返し繰り返し思い出すことで、ネガティブ度が上がっていく。
コレって、中身は完全に空っぽだ。妄想。夢想。虚像。実体がない。
にもかかわらず、つらい。実際に胸は痛い。長いこと苦しんでいる。なんとかしたい。
記憶は出てきたときに消す
私が今まで試行錯誤してわかったことは、
- 記憶は「出てきたときに消す」に限る
…ということだ。
「記憶は」というよりも、「(記憶に紐付く)感情は」といった方が、より正確かもしれない。
出てきたときが消すチャンス。逆にいえば、出てきていないとき(記憶ならトリガー発動して思い出したとき以外)にアレコレしても、うまく消えないのだ。
バスタブにシャワーをかけながら上がってきた記憶の力を奪うことに成功
そんなことを考えつつあった先日。
バスタブのお湯を抜き、スポンジで洗う前にザッとシャワーをかけて汚れを落としているそのときに、例の記憶が上がってきた。
ここから、いつものパターンなら、記憶にのみ込まれていき、ゲッソリ嫌な気分になり、同時に、
- 「私はいつまで過去の亡霊を思い出しては嫌悪感に支配されなければならないのだ」
…という意味で、落ち込む。
思い出している記憶には「罪悪感」という、これまたやっかいなものも、くっついている。
(客観的に見れば私は悪くないにもかかわらず、私が悪かったのだと思ってしまう系の罪悪感)
この日は違った。対処しようと思っていたから
いつもなら、そのまま「嫌な気分」に支配される。この日は違った。「なんとかしたい」と意志を持ち、対処しようと思っていたから。
その場の思いつきで、
- 嫌な思い出は思い出したまま、今に集中する
…というのをやってみた。結論からいえば、これが自分でも驚くほどの効力を発揮した。
思い出すのをやめようとしない
ポイントは2つある。
1つめは「思い出すのをやめようとしない」こと。
- 思い出さないようにしよう、思い出さないようにしよう
…とがんばるほどに、どんどん思い出すことは、何度も経験した。
思い出すものは思い出すものとして、そのまま、そこへ置いておく。それに対して、何もしない。
今に集中する
2つめのポイントは「今に集中する」ことだ。
- 嫌なことを思い出しながら、同時に今に集中する
のが重要。
「嫌なことを覆い隠すために今に集中する」のではない。嫌なことから気をそらすために今に集中するのでもない。
嫌なことをありありと思い出し続けている、それをキープしたまま、同時に今に集中する。
すると不思議なことに、ありありと思い出している嫌なことが、まったく嫌なことではなくなっていく。「ただの事象」としか、とらえられなくなっていく。
ここが、最大のポイント。その記憶は記憶として、目の前にありありと浮かんでいる。しかし、力を失っている。私は、それをいくら思い出しても、もう嫌な気持ちにはならない。
「今に集中する」やり方
「今に集中する」具体的なやり方は、
- 五感に集中する
という方法でやっている。
まず、目で目の前をよーーーーく見る。シャワーのしぶきが飛んで流れて水が流れていくな…とか。
次に耳に意識を持っていく。シャワーの音、換気扇の音、いま聞こえてくる音に意識を向ける。
それから鼻。どんなにおいがするか。
そして皮膚。手でにぎっているシャワーヘッドの硬さ、温度。
これをやりながら、嫌な記憶を宙ぶらりんに浮かばせておくと、嫌な記憶がみるみる力を失っていく。
今に集中している間、嫌な記憶を思い出しているのに嫌ではないので、そのままシュルシュルとシュリンクして、「ただの記憶」に成り下がっていく。
思い出すのが怖くなくなった
この方式を発見した私は、思い出したくないことを思い出すのが怖くなくなってきた。
思い出したくないことがやってきたら、この方式でシュルシュルとシュリンクさせてしまえばいいのだ。
そしたら、もうやってこなくなる。