コロナ禍のメンタル不調は「異常な状況への正常な反応」だった。自粛生活で心が壊れかけた体験と対処の記録

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周囲の体感として、また自分自身の感触として、心のバランスを崩す人が増えている気がする。ウイルスへの恐怖よりも、むしろ「コロナ的生活」そのものが、じわじわとメンタルを蝕んでいる。

この記事では、2020年5月の緊急事態宣言下で私が実際に体験した心の変調と、自分なりに効果のあった対処法を記録として残しておく。

目次

コロナ禍のメンタル不調は、なぜ「直接的な恐怖」とは違うところから来るのか

「周囲の体感として…」と冒頭で書いたのは、この1週間以内に「唐突に、ひさしぶりの人から連絡が来る」というパターンを相次いで経験したからだ。

相次いだ悩み相談の連絡。表面上はコロナと無関係だった

前回のやり取りは数か月〜半年以上前。そんなご無沙汰な友人たちから、ほぼ同じタイミングでLINEが届いた。いずれも悩み相談の連絡である。

彼女たちは、直接的に「新型コロナ」に悩んでいるわけではなかった。以前から抱えていた問題や後悔、対人関係のイライラが、ハッキリした輪郭で襲いかかってきて、限界を超えた。それで「誰かに話を聞いてほしい」状態に陥っていた。

ただ、悩みの表層がコロナと無関係に見えても、今、それらの悩みが色濃く浮上してくる背景には、この2か月のコロナ的生活の影響が見て取れた。

日本トラウマティック・ストレス学会は、パンデミックがもたらす心理的な影響を3層に整理している。第1層がウイルスそのものへの恐怖、第2層が環境変化によるストレス、第3層が情報の混乱による社会不安だ。友人たちの不調は、まさにこの第2層に当たる。直接の感染不安ではなく、行動制限・孤立・生活リズムの崩壊が、以前から抱えていた脆弱な部分を一気にえぐり出したのである。

感染者数は減少に転じ、直接的な恐怖からは徐々に抜け出しつつある。そのいっぽうで、長期にわたるコロナ的生活の蓄積ダメージが、じわりとにじみ出てくる時期に入っていた。

日本トラウマティック・ストレス学会「COVID-19パンデミックがもたらす心理的影響」

Zoomの打ち合わせで「他人のストレス」に巻き込まれる

仕事の場面でも変化が出ていた。

Zoomの打ち合わせで、ここのところ妙にイラついている人が散見される。その余波を食らって、こちらも理由のわからない落ち込みに襲われた。

コロナ的生活の継続で、彼らの個人的なストレスが限界を超え始めているのではないか。そんな考えに至ったとき、少し気が楽になった。原因不明の苛立ちをぶつけられるのと、「ああ、この人もコロナ疲れなんだな」と理解したうえで受け止めるのとでは、ダメージが違うから。

仕事のスタイルが変わった初期は、いつもとは違うイベント感があり、新鮮さで乗り切れていた。だが、対面コミュニケーションを本質的に必要とする人たちにとっては、リモート生活のダメージが着実に蓄積されているようだ。

すべての人がそうなるわけではない。自分や周囲の人がその人種に当てはまるかどうかは、この時期に来てようやくあぶり出される感じ。

ここで大事なのは、「イライラしている相手が悪い」と断じるのではなく、原因を正しく認識する姿勢。相手の苛立ちの根っこがコロナ疲れだとわかれば、無用な対人トラブルを避けられる。

「なぜこの人は怒っているのか?」の問いに「コロナ的生活のストレスが蓄積したから」という仮説を持っておくだけで、こちらのメンタルが守られる場面は少なくないと思った。

自粛生活で「時間感覚」がおかしくなる。精神科医の考察と私の実感

私自身の感覚としては、「時間的な感覚がおかしい」と漠然と感じていた。

時間が「均質化」する

仕事はしているものの、全然進まない感じがする。やってもやっても終わらない感覚。一応やってはいるが手応えがなく、やったかどうかも忘れていく。連続した時間を過去にせよ未来にせよ、組み立てて立体的にとらえるのが難しくなり、ふにゃふにゃしたまま、毎日が過ぎていく。

この感覚の正体を、精神科医の斎藤環先生がnoteの記事「“感染”した時間」で明晰に記述されていた。斎藤先生によれば、震災は時間を「分断」したが、コロナは時間を「均質化」する。世界中が“コロナ時計”に強制的に同期させられ、すべての記憶の距離感がつかめなくなるのだという。

まさにそのとおりだった。つい先週の出来事も、2か月前の出来事も、同じくらい遠い。時系列をスケジューラで確認すれば事実はわかるが、体感としてはどこにも“手がかり”がない。私の時間も、感染しているようだ。

この時間感覚の崩壊は、認知科学的にも捉えられる。人間の体感時間は「体験するイベントの数」に左右される。新しい経験が多いほど振り返ったときに時間が長く感じられ、単調な繰り返しが続くと時間は圧縮される。自粛生活はまさに後者の極致。変化のない日々が、時間の目盛りを消してしまう。

斎藤環「“感染”した時間」(note)

「1週間のパッケージ」を意図してつくる

前述の斎藤環先生のnoteで〈内向きの不要不急を充実させる必要がある〉という言葉が出てくる。

私自身の例を書けば、生まれて初めて見ている「NHKの朝ドラ」が、内向きの不要不急を充実させるために功を奏しているかもしれない。

今まで、朝ドラを見る習慣は皆無。年末の紅白歌合戦で出てくるキャラクターがちんぷんかんぷんだった。

今は、月曜〜金曜まで規則正しく、朝ドラを視聴している(NHK連続テレビ小説「エール」)。この物語で流れる時間とイベントが、かろうじて私を時間軸崩壊から守ってくれているかもしれない。

土曜はバナナマンの日村さんが解説してくれる総集編を見て、日曜は朝ドラはないけれど大河ドラマを見る(今日もこれから見る)。

そうして1週間の1パッケージが終わる。

自粛中に「人とのつながり」を維持する。オンラインヨガの意外な効果

もうひとつ、実体験として効果が大きかったのが、双方向のオンラインヨガレッスンだ。

身体を動かす以上の価値があった

通っていたホットヨガを休止中のため、オンラインヨガを試してみたのだが、結局入会して1日1〜2レッスンずつコンスタントに受けている。最初と最後はインストラクターと目を合わせてあいさつをし、レッスン中は名前を呼んで声掛けしてもらえる。

  • 「○○さん、いいですね!」
  • 「○○さん、背中のびてますね〜!」
  • 「○○さん、ナイス!」

と名前を呼んで褒めてもらうとテンションが上がる。

オンラインヨガに参加してヨガ本来の効果が得られるのは、もちろんある。それにプラスして、こういうご時世だからこそ、“人と接触できている感じ”が味わえる機会は貴重。

それでいて、友人・知人・仕事相手のように関係性のキープに気を遣う相手ではない気楽さが良い。5:00〜24:00まで1日100本程度のレッスンが絶え間なく開催され、いつでも自分で時間を選んで参加できるのも良い。

孤立を防ぐのは「深い関係」だけではない

今回感じたのは、メンタルを守るうえで必要な「つながり」は、かならずしも深い関係だけではないということ。

社会学でいう「弱いつながり」(ウィークタイズ)が、こういう局面で効いてくるとわかった。

親友に深刻な相談をするのもいいが、それ以前の段階、日常的に「ちょっとした会話」や「名前を呼ばれる経験」があるだけで、人間の孤立感は大幅に軽減される。

オンラインヨガは、まさにこの弱いつながりを提供してくれる仕組みだった。

「自粛解除」後にやってくる、もうひとつの落ち込み

これから自粛が解除に向かうなかで、別種の気分の落ち込みを経験する人もいるだろう。

新学期・新生活前と同じ構造

コロナ的生活に慣れてしまった身体と心に、「元の生活に戻りなさい」という圧力がかかる。これは、長期休暇明けの憂うつや、新学期前の不安感とほぼ同じメカニズム。

コロナによって後ろ倒しにされていた2020年4月の緊張感を、タイムラグを経て「いまさら」経験する人も出てくるかもしれない。

「自分だけは大丈夫」はない

こころの病気について、私は自分や家族を通していろいろな経験をしてきた。

だからこそ断言するけれど、「自分だけは大丈夫」はない。メンタルの不調は、その人の「弱さ」ではない。異常な状況に対する正常な反応。

筑波大学を中心とした全国調査でも、コロナ禍で8割の人がストレスを感じ、うつや不安の症状は従来の災害と同等かそれ以上に高かったと報告されている。

「自分だけは大丈夫」はないから、皆で気を付けていきたいし、周囲に様子がおかしな人がいれば声をかけるようにしたい。

参考文献:

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