オンライン生活では「心の異変」に気づけない。後悔しないために今できること

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前回の記事では、自粛生活のなかでメンタル不調が広がっている実感と、その対処法について書いた。今回はその続編として、もう少し踏み込んだ話をしたい。

自粛生活から2か月。周囲に、心のバランスを崩す人が現れ始めている。問題は不調そのものだけではない。その「崩れ方」が危険だと感じている。

目次

心のバランスの崩し方が危険

自粛生活から2ヶ月、メンタル面に問題が出ている人が周囲に現れだした、という話を前回書いた。

その崩れ方が危険だな、と思っている。とくに一人暮らしで自粛生活を2ヶ月やっている人

その「きっかけ」となる出来事はあれど、自粛生活がなければ、そこまで行く前に周囲に助け出されていたのかもしれない…、と思ってしまう。

最悪のケースでは、命を絶ちかねない

強い言葉を使って書けば、(最悪のケースでは)命を絶ちかねない。

直接的な原因はあっても、「いま」というタイミングでなければ耐えられたかもしれないのに、今だからこそ一線を越えてしまう…というケースがあるかもしれない。

(たとえるなら、自粛生活でHPが減って瀕死のところに、攻撃をまともに食らってしまう感じ)

「あの人は大丈夫」はあてにならない

周囲に、“自粛生活で誰にも気付かれていないけれど、追い詰められている人”が、いるかもしれない。

「まさか、あの人が?」と思うような人が、やられているかもしれない。

(実際、私の周囲で崩れた人のひとりは、元気印を絵に描いたような明るい人)

「あの人は大丈夫(あるいは自分は大丈夫)」は、まったくあてにならない。心の病気にかかるリスクは、誰にでもあるからだ。

体の病気と同じ。「これが原因ではないか?」と思い当たる節があったとしても絶対的ではない。

同じことを経験しても、病気になる人とならない人がいるし、そもそも思い当たることがないのに病気になる人もいる。

オンラインのやりとりだけではわからないこと

ここから、自粛生活のメンタル崩れについて、思ったことを記しておく。

前提として効率化になるオンラインは歓迎

私個人的には、仕事がオンライン中心になること自体は歓迎。もともと「対面コミュニケーションの重要性」にこだわりすぎる文化には疑問を持っていた。目的が明確なミーティングなら対面でもオンラインでも構わない。しかし、目的が不明瞭なまま人の時間を奪い、心に大きな負荷をかけるだけの対面コミュニケーションには、以前から意味を見いだせなかった。その考えは今も変わらない。

オンラインはにおいがしない

その前提を持ったうえで、100%オンラインの日々が続いて気づいたことがある。

それは、100%オンライン(直接対面のコミュニケーションなし)だと、

「なんだか様子がおかしいな?」

と、“においを感じ取る”のはできない、ということ。

異変がある一定レベルを超えると、“におい”以上のモノが出てくるので、パソコンの画面越しにも気付ける。徐々に「パフォーマンスが落ちる」「納期を守れない」「欠勤が増える」など、異変が物理的に明らかな形で出現するから。

しかし、なんと言ったら良いのだろう、その“前段階”で出ているモノを嗅覚で嗅ぎ取って察知する、みたいなことはオンラインではできない。画面からは、においがしない。

違和感を察することが難しい

もう少し具体的にいえば、

  • 顔色が悪いかもしれない
  • 肌が荒れているようだ
  • 声がいつもより小さい気がする
  • 歩くときにフラついているように見えた
  • 手がちょっと震えているように見えた
  • ちょっと痩せた?
  • あまり目を合わせてくれない気がする

…というような、
「明らかに絶対おかしいとは言えないけど、なんだかいつもと違う気がする違和感」
は、同じ空間を共有していないと、わからない。

顔色や声の大きさや目が合わない感じは、通信状況や画面越し由来の問題として処理され、歩いている様子や手の震えなど身体的な様子が画面に映ることはない。

メンタルは崩れ出すと支えるのは非常に難しい

こんな前段階の“におい”のことを私が気にしているのは、

  • メンタルは一度崩れ出すと、そこから支えようとしても非常に難しい(なだれのように崩れていく、崩れるのは本当に早い)
  • そうなる前に前段階でケアしていくことが超大事

…と思っているからだ。

これは、メンタルを崩す本人にとっても、その周囲の人にとっても、大切なことだと思う。

崩れ始めてから何とかしようともがくけれど、崩れ始めてから止めるのは、本当に難しい。

後悔しないように声をかける

このブログでも、ちらほらと過去に自分が経験したことを書いているが、

  • 「万が一、遺された者になってしまったとき、後悔しないよう行動すること」

が大切だと思って私は生きている。

遺された者になってから、

  • 「早めに連絡すれば良かった」
  • 「あのとき無理にでも会えば良かった」
  • 「もっと話を聞いてあげれば良かった」

…そういう後悔をしないために、いま行動する。それが、“遺された者にならずに済む方法”でもある。

人は、もろい。本当にもろい。

いま、

「あの人、大丈夫かな?孤独になってないかな?」

と気になる人が頭に浮かんだら、連絡してみる。その1通に救われることってきっとある。

…スマホ片手に、今日はそんなことを考えていた。

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