かつて摂食障害だった私だが、コロナ禍のストレスをきっかけに一時、過食モードに入ってしまった。
この記事は、そのときの経緯と心の動き、そして自分なりに編み出した“やり過ごし方”の記録。
摂食障害は「治った」と思っても、ふとしたきっかけで顔を出すことがある。同じ苦しさを抱えている人には、「あなただけじゃない」と伝えたい。
完璧すぎる食生活が、過食のトリガーになった
コロナ禍のさなか、私は食生活を徹底的に管理していた。ネットスーパーでまとめ買いした食材をひとつずつ消毒して冷蔵庫へしまい、すべて自炊。
主に食べていたのは野菜と魚。Uber Eatsなどの宅配は使わなかった。飲食店や配達員の衛生管理を信頼しきれなかったからだ。
“息抜き”がゼロになった危うさ
じつは、コロナ以前の私にとって、ときどきの外食がよい“ガス抜き”になっていた。誰かとランチをしたり、飲みに行ったりするタイミングでは、普段の食事ルールを外して、その場を純粋に楽しんでいた。
それがコロナ禍でゼロになった。外食ゼロ、宅配ゼロ、完全自炊。約3か月半にわたる、ある意味パーフェクトな生活。
振り返ればこの“パーフェクトさ”がリスクだったのだ。完璧なコントロール状態を長くつづけるほど、崩れたときの反動は大きくなるから。
食に限ったことではないけれど、極端な制限はその反動を招きやすい。
ストレスが“たが”を外した
6月に入り、「そろそろ、たまにはよいかな」と思ってUber Eatsのアプリを開いた。正確にいうと、けっこうなストレスを感じる出来事があって、緩みたくなってしまったのだ。
糖質制限をしていると、目が冴えて集中力も高い。仕事もピリリとこなせる。でもあのとき私は、あえて糖質まみれになって、ゆるゆるとダルくなって眠りこけたかった。ストレスから一時的に退却したかったのだと思う。
パークサイド日比谷クリニック「新型コロナストレスと過食」、銀座心療内科クリニック「過食症の治療方法」
1回食べたら止まらない——摂食障害と“行動依存”のメカニズム
Uber Eatsで宅配を1回頼んだら、たがが外れた。それまで、パーフェクトな食生活を続けすぎていた反動が来た。
摂食障害だった頃の「糖質に対する依存」が暴発してきた感覚もあった。
摂食障害は“食べ物”ではなく“食べる行為”への依存
ここで補足すると、摂食障害を“依存症”のくくりで捉える見方がある。アルコール依存症のアルコール、薬物依存症の薬物。それと同じように、摂食障害では「食べ物」が依存対象と捉えられる。
ただし、より正確にいうと、専門的には「物質依存」ではなく「行動依存」とされる。依存しているのは食べ物という物質ではなく、食べるという行為そのもの。アルコールや薬物なら「100%断つ」という選択肢があるけれど、食べる行為を完全にやめるわけにはいかない。ここに摂食障害の根本的な難しさがある。
私の場合、「糖質」をほぼ100%断つことで日常をコントロールしている感覚がある。だから、糖質が1滴でも入ると、脳が「もっと!もっと!」と叫び始める。
これは意志の弱さではなく、脳の報酬系のはたらき。甘いものを摂取すると、脳内でドーパミンが分泌されて快感として記録される。その結果、糖質への渇望がどんどん強まっていく。自分を責めても解決にはならない。
リモートワーク×デリバリーの悪循環
自分でも「何やってるんだろう」と思うけれど、暇さえあれば、Uber Eatsをダラダラ眺めてしまう。眺めれば食欲が刺激されて、また何か頼みたくなる。先日なんて1日に3回も注文した。
コロナ禍でリモートワークになり、在宅時間が長いから、なかなか悪循環を断ち切るきっかけをつかめずにいた。
過食ループの中で気づいた“2人の自分”
ひさびさの過食ループに入って、ある感覚を思い出していた。
「あ〜、この“大事にできていない感じ”がものすっっっっっっごく嫌なのに、そこに自分から突っ込んで行っている感じ、だからそれがさらにイヤでたまらないんだよね」
お金がムダ。身体への負担もムダ。食べ物もムダ。何ひとつ大事にできていない自分がすごく嫌だ。でも同時に、何にも大事にしたくない自分がたしかに存在している。あえて大事にしない方向へ突っ走ろうとする自分がそこにいる。
自己嫌悪の“質”が変わった
昔なら自分を刺したくなるほどの自己嫌悪で「何やってるんだろう」と呪っただろう。
でも今は違う。いろいろと乗り越えてきたから、今の私はこう思える。
「おいおい何やってんだわたし…(笑)、やっぱ摂食障害の気は残ってるんだね(客観的発見)、いまリセットするからちょっと待ってて」
このテンションの変化は小さいようで、じつはとても大きい。過食そのものは起きている。でも「過食している自分を、少し離れた場所から眺められている」という状態になっている。これは回復のプロセスとして、かなり重要な変化だ。
「責めない」を自分に許す
過食してしまったとき、一番やってはいけないのは激しい自己嫌悪に浸りきることだ。自己嫌悪がストレスを生み、ストレスがさらなる過食を呼ぶ。この悪循環が、摂食障害で最もつらく苦しい。
だから私は、意識的に「責めない。責めない」と自分にいい聞かせる。甘やかしているのではない(いや、甘やかしたっていいんだけれど)。悪循環を断ち切るための、れっきとした対処法。
私なりの“リセット法”—フルーツへの移行とアプリ削除
では、ジャンクな糖質を食べまくってしまった身体を、どうやってリセットするか。
まず“自分的OK糖質”に置き換える
私のリセット方法は、いきなり糖質ゼロに戻すのではなく、まず生のフルーツに移行するところから始める(とくにりんごは、私にとってお守り的な存在)。
急に糖質ゼロにできるときはそうすることもあるけれど、今回のように深入りしてしまったときは、「まずはりんご」と段階を踏んで、脱出を図る。
同じ糖質でも、精製された砂糖と果物の糖質は、身体への感覚が全然違う。果物にはビタミン・食物繊維・水分が含まれている。「甘いものが欲しい」という脳の欲求を、身体への負担がより少ないかたちで満たしていく。
トリガーとなる環境を物理的に断つ
もうひとつ、Uber Eatsのアプリをスマホから消した。
ダルくてやる気がでなくて、ソファに寝っ転がってスマホをいじっては、とくに見るものがなくて、Uber Eatsを開いて、食欲が刺激されて、つい注文して——この悪循環を断つには、入り口そのものをなくすのが一番いい。そもそも惰性で眺めているので、再インストールしてまで見ようとは思わない。
このように過食のトリガーとなる環境を物理的に遠ざけるのは、依存的な行動全般に有効なアプローチ。アルコール依存なら家に酒を置かない。過食なら、注文アプリを消す、食材を買い置きしない。
意志力には限界があるから、環境のほうを変えて、変な気を起こさないように自分をサポートしていく。
摂食障害は“治す”より“やり過ごす”
このブログでも何度か書いているけれど、摂食障害が治ったとか乗り越えたとかいうより、やり過ごしながら生きていく術を身に付けたのだと思う。今回、あらためてそう感じた。
「完治」にこだわりすぎなくていい
欧米の研究では、神経性過食症の寛解率は10年後で70%以上とされる。つまり、多くの人は時間をかけて回復に向かう。
ただ、「完治」か「未完治」かの二択で考えると苦しくなる。ストレスがかかれば症状がぶり返す時期があっていい。それは回復プロセスのなかの波にすぎない。
自分だけのリセット手順を持っておく
今回はあらためて「過食が起きたときの自分なりのリセット手順」を持っておくのっていいなと思った。
私の場合は、こうなっている。
ステップ1: 過食している自分に気づく(責めずに客観視する)
ステップ2: トリガーとなる環境を物理的に断つ(アプリ削除・買い置きを減らす)
ステップ3: ジャンクな糖質→フルーツなど“自分的OK糖質”に段階的に移行する
ステップ4: 普段の食生活に少しずつ戻していく
これは私個人のやり方であって、万人に当てはまるわけではない。「自分なりの手順」を持っておくことが大事。やり過ごすたびに、手順は少しずつアップデートして、より良いものに進化させていけばいい。
回復は一直線じゃない、でも確実に進んでいる
摂食障害と付き合って長い年月が経った。今回みたいに過食がぶり返すたびに「治っていないかもしれない」と思うこともある。
でも、冷静に振り返れば、昔の自分とは明らかに違う。自分を傷つけたくなるほどの自己嫌悪はもうない。過食している最中でも「これは一時的なもの」とわかっている。リセットの手順も自分のなかに蓄積されている。
回復は一直線ではない。ジグザグだ。でも、ジグザグしながらも、確実に前には進んでいるはず。少し混乱してしまったときは、いったんリセットして、また始めればいい。
参考文献:

