うーん。ここのところ、メンタルの調子が私自身、あまりよろしくない。
しばらく影を潜めていた「過食虫」が活発化して、久々に相当な食べすぎをやってしまった。
しかも、ちょっと続いている。
私的パーフェクトな食生活がパーフェクトすぎたかもしれない
コロナ禍において、食材の調達にも、かなり気を遣ってきた。
自炊100%
UberEATSなどの宅配では、飲食店における衛生管理も配達員の衛生管理も(申し訳ないけれど)信頼しきれない、と思っていた。
ネットスーパーでまとめ買いした食材を、ひとつずつ消毒してから冷蔵庫へしまい、自炊して食べる…という日々を数ヶ月にわたって続けた。
主に食べていたのは、野菜と魚。
時折の“息抜き的外食”もなし
いま振り返ると(新型コロナ前は)節制した食生活のなかで良い息抜きになっていたのが、時々の“外食”だったのだろう。
誰かとランチとか、今日は飲みに行こう、なんてタイミングがあれば、普段の食生活の縛りはナシにして、その場を楽しむことにしていた。
コロナ禍においては、そんな外食もゼロになった。
久しぶりにUberEATSを頼んでみたら止まらなくなった
完全自炊が2月中旬から5月いっぱいまで続いていて、6月に入ってから、
- 「そろそろ、たまには良いかな」
と思って、UberEATSで宅配を頼んでみた。
そしたら、たがが外れた状態に陥ってしまい、止まらなくなった。
もともと摂食障害だったので、1滴でもそのエッセンスが入ると、ぶり返したみたいになってしまうんだなあ。いまだに。
正確にいえばストレスを感じてゆるみたくなった
「そろそろ、たまには良いかな」と思ったタイミングを正確にいえば、けっこうなストレスを感じる出来事があり、緩みたくなってしまった。
糖質制限をしていると、目が冴えて、集中力が高まって、仕事もピリリとこなせるんだけれど、あえて糖質まみれになって、ゆるゆるとダルくなって眠りこけたくなってしまった。
1回食べるとまた食べたくなる
摂食障害を“依存症”という括りで捉えるとき、「食べ物」が、アルコール依存症における「アルコール」や、薬物依存症における「薬物」と例えられるときがある。
摂食障害は「食べ物」に対する依存症で、アルコールや薬物と違い、100%断つことができない点に難しさがあると。
私の場合「糖質」をほぼ100%断つことでコントロールしているようなところがある。
だから、糖質が1滴入ると「もっと!もっと!」スイッチが入りやすい。
仕事そっちのけでUberEATSを眺めてしまう…
自分でも「何やってるんだろう」と思うけれど、リモートワークなのを良いことに、UberEATSをダラダラ眺めてしまう。
眺めることで食欲が刺激されて、また何か頼みたくなる。
昔なら自分を刺したくなるほどの自己嫌悪で「何やってるんだろう」と呪っただろう。今は違う。
まあ、いろいろと乗り越えてきたから、今は、
- 「おいおい何やってんだわたし…(笑)、やっぱ摂食障害の気は残ってるんだね(客観的発見)、いまリセットするからちょっと待ってて」
…くらいのテンション。責めない。責めない。
お金と自分をムダ遣いしている感じ(大事にできてない感じ)がイヤなんだけど求めてる
ひさびさの過食ループに入って、
- 「あ〜、この“大事にできていない感じ”がものすっっっっっっごく嫌なのに、そこに自分から突っ込んで行っている感じ、だからそれがさらにイヤでたまらないんだよね」
…という感覚を感じながら、思い出していた。
(ここだけの話、先日なんて、UberEATSを1日に3回も頼んでしまった)
お金がムダ。それを突っ込む体の負担がムダ。食べ物がムダ。
つまり、何にも大事にできていない自分がすごく嫌。
でも、何にも大事にしたくない自分が、同時に存在している。あえて、大事にしない方向へ突っ走ろうとしている自分がそこにいる。
そのことに、現在では、意識的に気付いている。
とりあえず純粋な生フルーツへ移行中
ここのところ、ジャンクな糖質を食べまくってしまったため、ひとまず自分的OK糖質のフルーツへ移行中。
特にりんご。
いったん、生のフルーツに移行してから、また自分が過ごしやすい食生活に戻っていく——というのが、いつものパターンなので。
このブログでも何度か書いているけれど、摂食障害が治ったとか乗り越えたとかいうより、やり過ごしながら生きていく術を身に付けたのだ。今回、改めて思った。
あ、それと、とりあえず、UberEATSのアプリはスマホから消した。
コロナ禍の影響を私も受けているのか何なのかわからないけど、ダルくてやる気がでなくて、ソファに寝っ転がってスマホをいじっては、特に見るものがなくて、UberEATSのアプリをいじって、食欲が刺激されて、つい注文して——という悪循環に陥っていたので。
いったん、リセットだ。