【摂食障害 振り返り③】依存症が持つ“快感”から抜け出すうえで重要だった2つのこと

前回の記事の続き。

前回は、摂食障害を「依存症」ととらえたとき、依存する対象となっている快感とは何なのか整理した。

今回は、その快感から抜け出していくうえで、「あれは重要だったな」「ターニングポイントだったな」と私自身が思う2つのことを書いてみたい。

❶ 快感を“ずらしていく”

ひとつめは、快感をずらしていく、という方法。

私は人生の途中まで、とにかく棒のような脚が欲しく、ペタンコで平べったい体幹が欲しく、華奢で消え入りそうな、圧倒的な細さが欲しかった。

それを持つことによって、前回の記事で書いたような快感を得ていた。

ただ、“人生の途中まで”と書いたように、現在の私は、そこ(圧倒的な細さ)に価値を見いだしていない。

前は圧倒的な細さを持つ人を見ると「いい!」「いいな!」「うらやましい!」とテンションが上がったものだが、今はそうならない。

「価値観」とは、移ろいやすいものだ。

まして、「認知の歪み」が症状として挙げられる摂食障害だから、極端で人には理解されにくい価値観を握りしめている。

快感をずらしていくとは?

快感をずらしていく、とは、その価値観を少しずつずらした、ということでもある。

具体的にいうと、華奢で消え入りそうな圧倒的な細さを善としていた自分の価値観を、「デコボコと筋肉の凹凸があり、ぜい肉がなく、引き締まった体」を善とする価値観に変えていった。

価値観を変えるのは、それほどには難しくない。自分がいる世界線を、消え入りそうな細さを称賛する人がいる世界から、筋肉を称賛する人がいる世界に変えれば良いのだ。

現代は便利なもので、SNSでフォローするアカウントを変えると、(擬似的に)サッと世界が変わる。

手放したい過去の価値観(細さ=善)を増強させるリスクのある情報は目に入れないように工夫し、手に入れたい新しい価値観(筋肉=善)をサポートしてくれる情報を浴びていく。

快感を欲する根本的な心の問題を解決するためには少し時間がかかるので(その方法もこの次に書くが)、快感を得たい気持ちはそのままに、その対象を少しずつ変えていくのだ。

筋肉のついた体が美しい(筋肉のない体は醜い、だらしない)

価値観を塗り替える意図で、あえて強い言葉を使えば、「筋肉の付いた体が美しい(筋肉のない体は醜い、だらしない)」という認知に、自分の感覚からシフトしていった。

本当のことをいえば、筋肉のない(他の人の)体が醜いとかだらしないとか、思っていない。

ただ、摂食障害で生命の危機を引き起こす認知を修正するために、そう思い込んで、生命の危機を脱する方向へ行動を変容させていった、というカラクリだ。

❷ 快感によって得たいものを意図的に満タンにする

細さによって得ていた快感を、筋肉によって得るようにずらしていく。これは、いわば応急措置だ。

細さを追求すると命に関わるから、逆に追求すると健康的になれるものにシフトする(筋肉を追求したら、筋肉を維持するための栄養を取らなければならないし、運動も睡眠も必要になる)。

この応急措置によって生命の危機から自分を守りつつ、今度は根本的な措置にも取り組んだ。

根本的な措置とは?

根本的な措置。それは、快感によって得たかったものを、意図的に満タンにするという作業。

褒めてほしかったなら、褒められまくる。認めてほしかったなら、認められまくる。

カラッカラに乾いているので、ちょっとやそっとでは満タンにはならない。ここまでの人生の何十年分も、浴びて浴びて浴びまくる必要がある。

重要なのでもう1回書くけれど、ちょっとやそっとでは満タンにはならない。ちょっとやったところで、効果がないとやめてしまうのはもったいない。浴びるように、シャワーのように、ほしかったものを得続ける必要がある。

それを誰かがやってくれたら超ラッキーだけれど、そんなことは(たぶん)起きないので、自分でやる。

私は何をしたのか

この10年くらいを振り返って、何が私にとっての“シャワー”になっていたのだろう?と考えると、パッと思い浮かぶものがいくつかある。

アプリの読み上げで言葉のシャワーを浴びまくる

ひとつは、5〜6年前になるかと思うけれど、チャット形式で複数の人物を設定してセリフを入力すると、それぞれ違う人の声(男性、女性、子ども、etc.)で再生してくれるアプリを使っていた。

これで、私が言われたかった言葉を入力して、再生しまくっていた。

言われたかった言葉は、そちらに意識を向けていると、ほいほいと浮かんでくる。浮かんできたらアプリに入力して、アプリにいってもらう。

例えば、子どもの頃の記憶で何度も挙がってくるシーンで親に言われたかった言葉でもいいし、摂食障害をやりながら人に求めている言葉でもいい。

コツは、自分の名前を入れることだった。

例えば、「ありがとう」と言われたかったとして、「ありがとう、ありがとう、ありがとう…」と100回聞くよりも「●●ちゃん、ありがとう」と名前つきで1回聞いた方が、心へのインパクトが大きかった。

【補足】やがて使っていたアプリが音声再生できなくなってしまい、この方法はやらなくなった。使っていたアプリの名前は「ひとり会議」。今もあるようだが、音声再生が復活しているかは不明。

自分の尊厳が保たれない場所から去る

もうひとつは、自分の尊厳が保たれない場所からは、どんどん去っていった。

ストレスを感じるところ、傷つくことをいう人、雑に扱われる場所、etc.

せっかく自分を満タンにしようとしているのに、そういう体験を日々していると、なかなか満タンにならない。バケツに穴が空いている状態だからだ。効率が悪い。

やめる、切る、別れる、連絡を断つ、絶縁する、SNSのフォローを外す。

もちろん、諸般の事情で、すぐにそれができないこともある。その場合は、すぐにできないからといって「できない」と結論しない。

3年計画で、“去る”をスタートする。3年あれば、どんな場所からも“去る”はできる。それなのに、今すぐでないからと「できない」と結論するのはもったいない。

3年がかりでもいいから、とにかく去る。

ちなみに、先ほどの

やめる、切る、別れる、連絡を断つ、絶縁する、SNSのフォローを外す。

↑これはあえて書いてみた。強くてドキッとするけれど、だんだん慣れていった。

なお、「自分の目に入らない」ができれば良いので、【相手に気づかれずにミュートにする】ができるのであれば、それでもいい(SNS上はもちろん、実生活上でも、ミュート的なこと)。

さまざまな本を読んだ

さまざまな本も読んでいた。これは子どもの頃からの習慣で、つらいときに救いを求めて手が出るのは、本だった。

どんな本が良いのかは人によると思うし、読み方も自分の読み方が正解とは思わないけれど、とにかくこれに関しても、シャワーのように浴びまくることを重視して、さまざまな本を読んだ。

同じ本を繰り返し読むのではなく、自己肯定感を育てるうえで役立ちそうな本を、手当たり次第、シャワーのようにたくさん読んだ感じ。

どんな本を読んだかは、ブログにも一部紹介している。

(続く)


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