美容でもダイエットでも食事法でも病気の治し方でもなんでも、結局のところ
- 「体感して自分を知る」
ことが、大事だと思う。
「自分を知る」ことは、「自分を感じる」ことから始まる。
自分の声を聞けるようになることが第一歩
このブログは、〈私にとって良かった。私にとって合わなかった。〉という「記録」になっている。
もともと、
- 自分でやってみる
- 体験してみる
- 実験してみる
というのが好きで、日記に記録してきた。そのまま公開している感じが、このブログ。
最近よく思うのは、
- 【自分の声を自分で聞ける人】
が成功している、ということ(何やら、自己啓発チック?だけれど)。
正解はひとつじゃない
いろんなところで、いろんな人が、
- 「自分のやり方が〈正〉」
と主張しているのを見る。それだけ〈正〉ってたくさんあるのだなと思う。同時に、ただそれだけのことでもある。
たったひとつの人類共通の〈正〉なんてない。あるとしたら、自分にとっての〈正〉だけ。
私にとっての〈正〉が、あなたにとっての〈正〉であるかどうかはわからない。
となると結局のところ、
- 自分でやってみる
- 体験してみる
- 実験してみる
というところに、行き着いていく。
「自分の声なんてわからない」ときは、体を見ればいい
「自分を大切にして、自分の声を聞こう」という促しは、耳にタコができるほど、いろんなところで言われている。
そう言われても、
- 「そもそも、自分の声なんて、聞こえないんですけど(汗)」
というとき、一番いいのは〈体を見る〉ことなんじゃないかなあ、と思う。
感覚不感症でも体を見ることはできる
すごく傷ついているとき、ストレスを抱えているとき、緊張状態が続いているとき、怯えているとき……、強烈に感覚が不感症になることがある。
自分が不快なのか怒っているのかわからないどころか、「暑くない?」と聞かれても、暑いんだか寒いんだか、わからないくらいに。
そんな状態で、「自分の声を聞こう」とか「自分の好きなことをしよう」とか「ワクワクすることは何?」なんて言われても混乱してしまうけれど、
- ただ体を見る
ことなら、できるんじゃないかなと思う。
●●をすると、肌は質感はこうなった。とか。▲▲をすると、脚の形状はこうなった。とか。
ただただ、淡々と自分の目に見える体を観察する作業。
すべては「自分を知る」という壮大な旅の一環
美容でもダイエットでも食事法でも病気の治し方でもなんでも、結局のところすべては、「自分を知る」という壮大な旅の一環なのかしら、と思ったりもする。
体感して、自分と向き合って、自分のことを知る。
- どうして「自分を知る」必要があるのか?どうしてそこへ向かっているのか?
っていうと、それこそ、
- 自分の声を聞く
- 自分が好きなことをする
- 自分のワクワクを追求する
ためなのでは?という気がする。
- 自分でやってみる
- 体験してみる
- 実験してみる
をやっているうちに、心の芯まで、すぅっと通っていく。
だから、自分軸で美容・体づくりに取り組んでいる人って、凜とした佇まいで、姿形以上に「うつくしく」見えるんじゃないのかな、なんて思った。