摂食障害を治そうと決めてから治るまでに、どれくらいの時間がかかりましたか?

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引き続き、いただいている質問へのお答え。

今日の質問は、

摂食障害を治そうと決めてから治るまでに、どれくらいの時間がかかりましたか?

心境を正直に書きすぎてしまったので、今まさに摂食障害を乗り越えようとしている段階で、精神的なバランスを保つのが難しい人は、読むのを避けてください

いつから治そうと思ったのかが、よくわからない

私は過去に、摂食障害だった。今は、違う。

ただ、振り返ってみると、

  • いつから治そうと思ったのかが、よくわからない

という感じがする。

私にとっての摂食障害は、自分で握りしめているものだった

〈病気になってしまったというよりも、「自分の意志」でそこに浸かっていて、本気で出ようとすることができない〉という感覚があった。

その感覚を含めて、摂食障害という病気なのかもしれない。

けれど、当時は、摂食障害と診断されても、自分の意志でわざとやっているような、病気と言われても本当はそうじゃないような……。

  • 「本当に私、病気と名乗っていいんでしょうか」

という、曖昧な、変な感覚を持っていた(うまく表現できないが)。

摂食障害には病識がない

摂食障害の人は病識がない」とよくいわれる。そのことも当時から知っていた。

それも踏まえて、〈私は病識がないのではなく、本気のひどい摂食障害の人に比べたら、ぺーぺーぺーである〉と思っていた。小物感というか。プロには負ける、というか。

振り返ってみると、そんなところにも、自尊心の低さが出ていたのかもしれない。

発症してから卒業するまではトータル15年以上かかっている

私は今30代で、初めて摂食障害的な体験をしたのが高校生の頃。なので、卒業するまでは、ざっと15年以上かかっている。

私の場合、これを書いて良いのかわからないけれど、

  • 「摂食障害を治したい」

という気持ちよりも、

  • 「痩せていたい、細い私でいたい」

という気持ちの方が、圧倒的に大きかった。これは、今でもそうなのだ。

摂食障害について書いたことがあるので、今回のように、摂食障害で闘病中の方から、メッセージをいただくことがある。

でも、

  • 私は、まじめに乗り越えようとして、きちんとがんばったのか?

と振り返ると、摂食障害を乗り越えようとメッセージをくださる方たちに比べたら、それこそ、ぺーぺーぺーのペーだなと思う。

私がさまざまな知識を付けて乗り越えようとしたのは、正直にいえば、摂食障害ではなくて過食症なのだ

最初は、痩せていたいから、過食症がなくなるようにがんばった

  • 「痩せっぽっちでいたい」
  • 「細い人というアイデンティティを維持したい」
  • 「ガリガリの自分が好き」

という気持ちは、今でも変わっていない。もしかしたら、ゆがんでいるのかもしれない。

もともと、

  • 太っている自分でも愛せるようになる

という方向性は、(私の場合は)目指していなくて、

  • 病的な拒食・過食をやらなくても細くて健康で美しい体をキープする方法

を追求してきた。その先に今があり、現在は幸運なことに、

  • 普通に食べて、体も心も健康で、体は痩せたまま

というところに着地することができた。

過食症がなくなるようにがんばりながら、だんだん「そのまま」を受け入れていった

一方、過食症がなくなるようにとがんばりながらも、どこかで

  • 「このままで(摂食障害のままで)いいや」

という気持ちが芽生え始めていた。いつしか、

  • 「私に必要だから起きているのだろう、だから、必要なくなるまでは抱えていよう」

と感じるようになっていたのだ。

この辺りの心境は、下記の記事に書いた。

ただ、本当に表現が難しいのだけれど、私は、摂食障害とは寄り添っていこうと思えていたけれど、過食症は嫌だった

これは、私の弱さ・未熟さなのかもしれない。やっぱり、太るのは嫌だった。それを含めて受け入れるのは、できなかった。

精神科に通っていた時期もあるけれど、彼らは太らせようとしてきた。それは、恐ろしいので受け入れられなかった。

だから、その分、栄養や体の仕組みや心理学の知識を付けて、自分で対処するようにしたのだと思う。

異常な低体重への願望は手放した

とはいえ、異常な低体重への願望は、手放した。

一時期、「40kgを切っていないといけない、30kg台じゃないとあり得ない」と思い込んでいたところから、それが徐々に緩んで、今は「最悪40kg台ならいいや」というところまで緩んでいる。

「太るのは耐えられなかった」と書いたけれど、

  • 一般的な感覚で痩せている方のレベルまでは許容するように思考を柔軟化した

という意味では、太るのが耐えられるようになったともいえる。

私は、この「折衷案に着地する」ということが、摂食障害から抜け出ていく上での、大きなポイントなんじゃないかな、と思う。

「30kg台じゃなきゃ、絶対にあり得ない!」と固執しているときに、「50kgまで増やしましょう」と言われたら、受け入れられない。

でも、その30kg台への執着心を、少しずつ、少しずつ、溶かしていく感じ

私も、徐々に、少しずつ、今の時点の許容度までやってきた気がする。

そしていつしか、白か黒か(拒食か過食か)と振り切って疲れ果てていた自分を卒業して、曖昧な中間地点の自分を、愛せるようになったのかもしれない。

随時リライトするかも

この記事は、同じ境遇にある人なら、もしかすると「わかるわかる」となるのかもしれない。

でも、ニュアンスをうまく伝えるのが難しい。一度アップするけれど、もっと良い表現ができたら、リライトしようと思う。

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