摂食障害のために他人との交流に支障があると感じた時期のこと

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摂食障害のために、他人との交流に支障があると感じた時期はありますか?あるいは今もありますか?

摂食障害のときは、ほかの人との付き合いが大変だった。その当時のことを少し書いてみたいと思う。

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摂食障害まっただ中のときは、人とごはんを食べる予定が入るのがすごく嫌だった反面、その予定がなくなるのも嫌だった

最初にお答えすると、過去に他人との交流に支障を感じていた時期はあった。

摂食障害まっただ中のときは、とにかく、

  • 食のすべてを自分でコントロールすること

に対して、非常に潔癖なこだわりがあった。

だから、それを崩される他人との会食予定は、憎しみを感じるくらいに嫌だった。

食べたくないから予定をキャンセルすることもあった

「普通の人」の感覚では理解しがたいことだけれど、「食べたくない」という理由で、予定をキャンセルすることもあった

人と正常な交流を持つことよりも、自分の思うとおりに食をコントールすることのほうが、優先順位が上になってしまっていた。

「それはオカシイ」という認識は持っているものの、どうしてもこだわりが強くて譲れなかった。

摂食障害の研究でも、食事コントロールへの強迫的な執着は典型的な症状のひとつとして知られている。食事摂取時の儀式的な行動や、体重数値への異常なこだわりは、専門家の間でも広く認識されているものだ。自分では「やめたい」と思いながらも止められないところに、この病気の厄介さがある。

「やせたい精神」と「食べたい肉体」の内部分裂に苦しんでいた

ここで面倒なのが、他人との会食は憎むくらいに嫌なのに、一方で、そのように自分の意志とは関係なく無理やり食べざるを得ないときのみ、食べても良いというルールが、無意識的にあった。

ここに、肉体として飢餓を避けようと必死になっている私の体は、ものすごく固執する。それが、精神としてやせたい私を悩ませた。

たとえば、「嫌だけれど、この日は他人と会食する」という予定が入ったとする。すると、肉体としての私は、その日にごはんが食べられるので、潜在意識では狂喜乱舞しているわけだ。

精神としての私は、本当は食べたくないけれど食べるしかないなら、食べて食べて食べまくる「過食の日」に当てようと目論む。それが、急にキャンセルになったとする。すると、私はびっくりするくらいに不機嫌になってしまう

尋常じゃないほど怒りをぶつけてしまうこともあった(相手は私が何に怒っているのかわからないので困惑する)。そういう意味で、非常に他人との交流に支障を感じていた。

学生の頃は、人が私よりも食べていないと嫌だった

これを書きながら思い出したのだけれど、高校生・大学生の頃くらいまでは、

  • 人が私よりも食べていないとイライラする

という症状もあった。

摂食障害の典型的な症状のひとつだったなと思う。

社会人になってからは、この癖は自然消滅していったけれど、学生の頃は、人の食べるものに目を光らせていた。遠慮したりダイエットだと言ったりして食べない人がいると、妙にイライラしていた。

食い意地を張っていると思われないことに神経を使っていた

もうひとつ、これは今でも少しあるけれど、

食い意地を張っているとは、絶対に思われたくない

という強烈なプライドがあった。

だから、常に人より少なく食べていたかったし、じつは存在しているガツガツ過食する自分を、全力で抹消していた。

摂食障害を持つ人は、自分が人からどう見られるかを過剰に気にする傾向があるとされている。

相手が何の気なしに言う言葉に、勝手に「食い意地を張っていると思われているかもしれない片鱗」をねつ造しては、勝手にイライラするという、不毛なことをよくしていた。

たとえば、

  • 「よく食べたね!」
  • 「おなか空いてたの?」

というような言葉掛けをされると、カッッチーーーーンと来て、

「ハァーー?全然食べてないけど」

と言い返したくなる——、というような。

今だったら、素直に「うん、おなか空いてた!」と言えるようになった……、と書きたいところだけれど、やっぱりそういう言葉には、心がざらつく。昔のようにイライラはしないけれど。

食へのこだわりが薄くなっていくとともに、人との交流も自然になっていった

私は現在、「絶対にこういう食べ方をしないと気が済まない」というような食へのこだわりはない。それがあるうちは、人と食事をするのはストレスでしかなかったので、できる限り避けるようにしていた。

それから自然と、摂食障害が自分の中で薄らいでいく過程で、気付いたら人との食事に対しても、徐々に気持ちが波立たなくなっていたように思う。

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