「自分にお金を使うことに罪悪感があり、うまく使えない」お金をうまく使えるようになるためには?

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ご質問のお答え。

私は、社会人としてかなりの年月が経っていますが、未だに自分にお金を使うことに罪悪感があり、うまく使えません。「やってみたいな」とか「これ欲しいな」と思うもの・ことは結構あるのですが、実行することにかなり躊躇します。これは育った環境や躾にも関連することかもしれません。一度、カウンセリングや個人セッション等を受けて、この自分の思い込みのようなものを払拭したいとも思っています。過去に個人セッション等を受けたことがありましたら、その効果などについて教えていただけますと幸いです。

目次

お金の使い方と自己受容度は密接につながっている感じはする

このブログでは、育った過程で受けた傷の話や、毒親などの話題も、ときおり記事にしている。そういった記事を読んでいただいている人の中には、今回の質問に共感する人もいるかもしれない。

お金の使い方って、自己受容度と密接につながっている感じがする。

それは、

  • 自分のためにお金を使えない

という人もそうだし、逆に、

  • お金を散財してしまう

という人も、そうだと思う。

私の体験談。お金を使えない。使うと使い過ぎる

「お金を使えない」「お金を使いすぎる」、私は両方とも経験がある。まず「使えない」エピソード。

神社で自分にお守りを買っただけなのに…

私は神社をよく訪れるけれど、自分のためにお守りを買ったことがなかった。誰かのために買うことはあっても、「自分のために」買うことができなかった。

でも、あるとき訪れた神社が、とってもすてきで大好きだなと思った。それで、自分の健康のためのお守りを買った。大好きな神社で、気に入ったお守りを買う。とてもハッピーな出来事のはず。が。

自分ではなぜなのかわからないが、その直後に、ぶわーーーーーーっ!とすごい罪悪感に襲われたのだ。

帰り道、

  • 「自分の分を買うなら、○○の分を買ってあげれば良かった」
  • 「なぜ私は自分の分だけ買ってしまったのだろう」
  • 「しかも自分の健康を願うなんて私にはそんな資格ないのに」

……と、わけのわからない後悔で頭がいっぱいになった。

自分の中に、こんなに罪悪感が巣くっているなんて、自分でも意外すぎてびっくりした。そういう「反応」が出て初めて知った、自分の一面だった。

お金を使うと使い過ぎてしまう

かといって、私は、お金をまったく使わないタイプではなかった。使い出すと、自分をまるで痛めつけるように、お金を使いすぎてしまうのだ。

まるで、「私はお金を持って豊かでいてはいけない」と思っているかのように。

リストカットで自分の体を傷つけるように、自分の持っているお金を散財することで、自傷しているみたいな気分だった。

自己受容度が上がるとともにお金との付き合い方も変わっていった

とくに、10代後半〜20代前半の時期、お金の使い方が変だった。自分でも自覚はあった。

振り返ると、「自分は幸せになってはいけない」という無意識の信念が、お金を通じて表面化していたのだと思う。使えないのも、使いすぎるのも、根っこは同じ。「自分には価値がない」と心の奥底で信じている人間が取る行動パターン。

でも、その後、徐々に「私とわたし」の関係性が改善する中で、「私とお金」の関係性も、改善していった。

お金を使う・使わないに限定せず「自分を大事にする」小さな行動を積み重ねる

「お金をうまく使えない」ということを問題視していると、「お金をうまく使えるようになる方法」を探してしまう。それだと、一時的に改善したように思えても、姿を変えて同じ質(同じ根っこ)の悩みに追われたりする。

お金をうまく使えない根源の原因にアプローチすれば、「お金をうまく使えない」という類いの現象は、勝手に消えてなくなる。だから、「お金をうまく使えない」ことに固執しすぎないほうがよい気がする。

お金を使う・使わないに限らず、「自分を大事にする」小さな小さな行動を、日々の中で積み重ねていくのだ。

たとえば、家族のためにはおいしいご飯が作れるのに、自分だけのときは適当になるなら、1回でいいから、自分だけのためにおいしいご飯を作ってみる。無意識のうちに自分だけ使い古しのタオルに手を伸ばしてしまうなら、あえて新しいふかふかのバスタオルを使ってみる。

無意識のうちに「自分には手を掛けても無駄」と省略している部分を、省略しないように意識する

靴下を自分に履かせるだけでも癒された体験談

私は、今はやめてしまったが、「冷えとり」という靴下を重ね履きする健康法を実践していたことがある。

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5本指靴下を2枚重ね履きした後に、さらに靴下を重ね履きしていく。5本指靴下を重ね履きするので、適当に履こうとしても履けない。だから、自分の足の指一本一本に、5本指靴下を履かせてあげる必要がある。

この、

  • 自分に丁寧に靴下を履かせる

という作業を初めてしたとき、私の心の底の何かが、「ピーン」と反応したのを、今でも覚えている。

「自分のために何かをやってあげる」という行動をしてこなかったので、ただ靴下を履かせてもらっただけなのに、「私の中のわたし」は、うれしくて仕方なかったみたいなのだ。

こんなに小さなことに見えることでも、「自分に何かをしてあげた」という行動の実績として、ちゃんとカウントされる。少しずつ癒されていく。

そういうことを、日々の暮らしの中で、辛抱強く、繰り返し繰り返し繰り返し行っていくと、ハードルが高く思える「自分のためにお金をうまく使う」ということも、自然とできるようになっていた。

個人セッションやカウンセリングに期待しすぎない方が良いのかも?

最後に、ご質問にあった「個人セッション」について。

今は、カウンセラーやセラピストを名乗る人がとても多い。誠実な人も不誠実な人も、技術がある人もない人もいる。一括りには決してできないが、この時代に、自分に合うカウンセラーなりセラピストなりを、短期間で見つけ出すのは、至難の業なんじゃないかと思う。

玉石混交で、本当に「えっ!?」と思うような人も中にはいるから、そういう人にあたるリスクもある(お金の無駄遣いになるばかりか、こちらの心理状態が悪化することさえある)。

自分でコツコツと、自分と向き合う作業を続けるのが一番という考え

そう考えると、私自身は、やっぱり自分との対話や本当の感情を味わって手放す作業を、自分ひとりの静寂な時間の中で、コツコツ続けていったほうが良いのではないかな?と思う。

私は、クリニックに通ったことも、セッションを受けたこともある。「それで何かが変わった」という経験を、私はしていない。だから、こういう考え方になっている。

運命的な出会いがあり効果を実感できたという人もたくさんいるのだろう。だから一概には言えない。これは私の個人的体験に基づく考えだ。

私は今、過去に比べればずいぶんと幸せに暮らしているけれど、そうなったのは、数回受けたセッションの効果ではなく、毎日コツコツ少しずつ続けた自分との対話の成果。

最初は「自分との対話」なんていっても、やり方がわからないけれど、それを助けてくれたのが、今までに読んできた数々の本だったと思う。

私が読んできた本の一部は、下記の記事で紹介している。

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