今月の質問回答その4。
拒食からの異常食欲への取り組み、すべて読みました。代償行為を止め、体重をある程度は増やし、サプリなど必要な栄養素を摂る。かつ、糖質制限や一日一食の試み、など自分自身に照らし合わせながら私も実践しています。ここからが質問なのですが。
【その後、食欲が自然に収まって、体重が上げ止まり、増えた(増えすぎた)分の体重が戻る・減る…といった、『治った今現在に至るまで(期間含め)』の経過、どのような経過を辿られたのか】を是非教えていただきたいです。
人それぞれ違うので、本当に参考程度にチラ見して欲しい…という前提の上で
こういった記事を書くときに、いつも似たような注意書きを書いているが今回も。
あまり事細かに期間・数字・経過などをこのブログで書くことはしていない。というのは、それは本当に人それぞれだから。
同時に、私自身が、“細かい数字にこだわりすぎて振り回される”傾向にあったから。
今日は少しだけ踏み込んだ内容を書いてみたいと思う。が、私の例はただの一例、という前提の上で、読み進めていただければと思う。
具体的にどのような経過をたどったのか書くのはとても難しい
ご質問いただいて、できるだけ真摯に答えたいと思ったものの、しかしここで止まってしまった。
具体的にどのような経過をたどったのか、書くのはとても難しいことに気付いた。
それは、現在の状態に至るまでの経緯が、グラフにしたらまったく直線ではなくて、ぐらぐら上がったり下がったり曲がったり途切れたり、なんだかぐちゃぐちゃになっている感じがするからだ。
ざっくりと書くと、
- 代償行為をやめる
- サプリメントなどで食欲抑制を工夫する(→常時の過食は止まる)
- 食事を糖質制限にする
- その後数年は、時々起きる過食を何となくやり過ごす
- 数年以上経過すると過食欲求自体、起きなくなる
という流れだった。
代償行為をきっぱりやめてから、「まるで普通の人のような状態」になるまでは、1年とかからなかったと思う。
というのも、すっかり普通の人のつもりで生活している中でカレンダーをふと見て、
- 「あれっ、私、わずか1年前は代償行為してたのか(信じられない)」
と、びっくりした記憶があるから(その後、何度か揺り戻しはあったけれど、徐々にそれもなくなっていった)。
悲観しすぎず、フラットな心構えで
摂食障害は一度泥沼に入り込むと、まったく持って出てこられなくなるし、それを私自身、気が狂いそうなほどに体験した。各メディアでも、そのように発信されることが多い。
が、一方で、ひょんなきっかけから急激に良くなることもあるので、必要以上に悲観しすぎず自分を追い詰めず焦らず、自分にとっての“ひょんなきっかけ”をつかむ準備だけして、日々をゆったり過ごしてもいい気がする。
もちろん、摂食障害がつらくてなかなか抜け出せないことは、よ〜く知っている。
その上で、「だから、なかなか私も治るわけがない」と自分に暗示を掛ける必要はまったくないことを、伝えたいのだ。ひょんなきっかけをつかんだら、明日からすぐに普通の人に戻る可能性だってある。
摂食障害に関連したニュースが報道される度に、「摂食障害は恐ろしい病気だ」と何度も何度も刷り込まれる。最近も、とあるニュース記事のコメント欄が、そういう発信で埋め尽くされているのを見た。
摂食障害が怖い病気なのは確かだ。命を失う人もいる。
しかし、その一方で、〈過去に摂食障害を患ったけれど、今はまったくもって健康に豊かに暮らしている人〉もたくさんいることも、知っておいて損はない(私もそのひとりだ)。
繰り返しになるが、摂食障害を甘く見ていいと言っているのではない。
必要以上に恐ろしいものとしてとらえて、「私の摂食障害を治すのは難しい、治らない、治せない」という暗示にかかって、さらにこじらせる必要はまったくないと言いたい。
「摂食障害を治すなんて簡単よ」と、言ってみたっていいのだ。
「絶対になんとか治さなければ!!」のような気迫も持たずに、フラットに構えたそのときに、フッと浮き上がれたりする。
そして、「あれ、つい1年前はあんなに過食してたのに!」なんて、びっくりして振り返る自分がいるかもしれない。
必死の形相で血の滲むような努力で摂食障害を克服するよりも、そういう軽やかなイメージを持ってゆっくり歩いた方が、きっと楽しい。
私はいつも必死に努力してきたわけでもない
このブログでは、私の過去の摂食障害が持ついろいろな面の、ある一部を切り取ってそれぞれ記事にしている。読まれた記事によっては、私が必死の努力で摂食障害から抜け出したように感じる人もいるかもしれない。
でも実際は、長年の摂食障害から抜け出し始めるときには、どこかフラットな視線を持っていた。
抜け出すために冷静に頭を使って、理性でフィジカル面を試行錯誤する一方で、感情面では「それでも抜け出せなかったら、一生付き合っていけばいいや」と、治癒に執着しないフラットさを持っていた。
と同時に、「考えられるあらゆる手を打ってみたら、簡単に治るんじゃないか」「理論的に考え得る対策はやってみよう」という希望も持っていた。
治り始めたそのときの私の思考は、一言でいえば「超・柔軟」だったのだ。
「治りたくないし治したくない、けど治さないとまずいからどうしよう」と不安のまっただ中にいながら固執して握りしめていた摂食障害を、逆説的だけれど、「治らなかったら治らなかったで、別にいいや」と手放すことで、治り始めたという面がある。
ゆるいスタンスで取り組み始めたから、ぐちゃぐちゃのグラフを淡々と歩けた
今振り返ると、その「ゆるさ」こそが、いろいろな面で功を奏していたのだなと思う。
摂食障害から抜け出し始めた後にぶり返して、また代償行為や過食をしてしまったからといって、猛烈な自己嫌悪に襲われたり、すべてが無駄になったと絶望したりすることもなかった。
淡々と摂食障害的な生活から離れ始めて、そのままゆっくり歩き続けたら、今の場所まで来ていた、という感覚なのだ。
私の場合、摂食障害というより「糖質依存症」と考えると対処がわかりやすかった
少し話は変わるけれど、ちょうど最近考えていたことがある。
先日、TOKIOの山口さんの件があって、アルコール依存症についていろいろな記事を見掛けた。
その中で、「これって、摂食障害に、まんま当てはまるではないか!」と思ったのが、アルコール依存症の判断基準。
「酒」とか「二日酔い」の部分を、「過食」「代償行為」などの言葉に入れ替えて読むと、すごくうなづける。
普通の感覚だと、「退院即日、酒を飲んでしまうなんて理解できない!」となる。
でも、摂食障害の〈どうしても抑えられない過食衝動〉と〈その後に襲ってくる自己嫌悪〉のことを思い出すと、アルコール依存症の人のつらさが少し理解できる気がした。
〈摂食障害まっただ中の私が、入院措置を受けて、退院したその日に過食に走る〉みたいなことは、全然起こり得ると思った。
摂食障害から立ち直るというより糖質依存症をケアするというスタンスが功を奏した
摂食障害は、「幼少期のトラウマ」「母親との関係」etc.とセットで語られることが多いので、そちらのケアに力を注いでいる人も多いと思う。私自身もそうだった。
が、心のケアは続けるとして、それとは別に、私の場合はアルコール依存症のように糖質に依存していたのだと思う。
だから、アルコールを取りながらアルコール依存症が治療できないように、糖質を取りながら摂食障害の治療はできなかった。むしろ、少し入ってくる糖質が引き金になり、さらなる過食を引き起こしては自己嫌悪に陥るという悪循環。
それは、「ちょっとならいいか」とお酒を一滴でも飲んでしまうと止まらなくなり、そのまま泥酔酩酊状態になるまで飲み続けるのと似ている。
一方、糖質さえ完全にカットしてしまえば、私の過食虫はそれだけで随分と収まった。
ただし、ここで注意点。糖質制限が功を奏したのは、私の体の場合。すべての人に当てはまるものではないかもしれない。
私はもともと血糖値の上下の影響を受けやすい体質だから、糖質制限が摂食障害対策に効きやすい体質だったと思う。
それをもともと、自分でも自覚していた。自分の内面を丁寧に観察してみると、糖分が頭に入ると、それこそ禁断症状のときにドラッグを飲んだときのように(飲んだことはないが)、頭の芯がフワーーーッと和らいで、その感覚が欲しいがために過食しているようだった。
さらにいえば、その「頭の芯がフワーーーッ」となる感じには、どこか母親の影があって、潜在意識下では乳幼児期の原体験と結び付いている何かがあるのだろうと思っていた(だからこそ、精神的に不安になったり淋しくなったりしたときに、完全に無意識ながらガーッと糖質を求めてしまう)。
糖質を徹底的に排除する食生活に取り組んで、それから数年以上が経過するようになると、今度は体の機能自体が正常化してきたのか、多少糖質を取っても、自分の心身が振り回されない状態になった。
体重の上下は確認していない。それが摂食障害を抜け出すひとつのポイントだった
もうひとつ、私が摂食障害を抜け出すとき、大きなポイントだったのは、
- 体重計を捨てた
という出来事だ。
だから、つい最近まで体重計を持っていなかった。先日、体重計を購入したという記事を書いたが、それは実は、〈本当の意味で摂食障害と自分が離れた感じがしたので体重計を購入できた〉という裏事情がある。
ご質問文に、
- 体重が上げ止まり、増えた(増えすぎた)分の体重が戻る・減る…といった……
という文があったけれど、私は数字への執着心がものすごかったので、自分の理想としない数字を見ることは絶対に許せなかった。
体重計を持っている頃から、体重が増えているときには絶対に体重計に乗らず、代償行為をしまくってつじつまを合わせてから体重計に乗り、自分が許せる数字を見て安心するという繰り返し。
それだと一生、摂食障害ときつく抱き合ったままであることは自分でもわかったので、体重計を捨てた。
だから、私は現在に至るまでに、自分の体重がどういう経過をたどったのか、知らない。これは、私が摂食障害から抜け出す上で、重要なポイントだったと思う。
人に太ったと気付かれたことはなかったようなので、途中経過でも大きく増やすことなく、うまく着地できた気はする(それは糖質制限とサプリメントなどの工夫のおかげと思う)。
「30kg台じゃなきゃいやだ」のような異常体重の執着は手放さなければならなくても、「普通にキレイでいられる体重」はちゃっかり維持しながら摂食障害から卒業する道を模索したって、いいと思うのだ。