今月の質問回答その2。
精神世界の本でおすすめがあれば、それも教えてください。
スピ界で好きな人・おすすめの人がいればそれもお願いします。
スピリチュアルは普通のことだから入り込みすぎない
以前、何かの記事で、
- スピリチュアルは好きだけれど、一定の距離を取っている
と書いた覚えがある。
スピリチュアルって、ごくごく普通のことだと思う。
だからこそ、普通の生活・普通の仕事・普通の毎日のなかの一部として、自然なボリューム感で存在しているべきもの、と認識している。
スピリチュアルという言葉をどう定義するかにもよるので表現が難しいが、スピリチュアル“だけ”がすべてで、それだけに夢中、という状態にはならないように。
そして、スピリチュアルの基本は〈いま目の前にある存在にやさしくすること〉だと思っている。
他の人でも、動物でも、植物でも、なんでも。それが、全体の調和を呼ぶ。
他の存在にやさしくするから自分にもやさしくなれる
もともとの自己肯定感が低い場合、「自分を愛せるようになりたい」と願うあまり、〈他の存在を差し置いても、自分を大切にすることが絶対〉と、極端に走ってしまうことが、あるかもしれない。
自分を愛することは、もちろん大事なこと。それは当然。
ただ、自分を愛せるようになる手段は、他の存在を差し置いて自分を大切にすることが唯一ではない、と強く実感している。
他の存在を愛して愛して愛そうとするうちに、いつの間にか自分のことを愛せるようになっていた、ということは、よく起きる。
自分を本気で愛することが、他人を愛することにつながっているように、他人を本気で愛することも、自分を本気で愛することにつながっているからだ。
「自分を愛せるようになりたい」とき、どんな手段を取るかは、人それぞれの自由。私はいま周囲にいる存在たちを、とことん愛するという手段を取りたい。
〈他の存在にやさしくするから、自分にもやさしくなれる〉という循環の中にいたい。
精神世界で好きな本
次に「精神世界の本でおすすめがあれば、それも教えてください」について。
好きなのは、バーソロミューだ。エイブラハムやバシャールなどと比較すると知名度がないけれど、言っていることが地に足が付いていて、好き。
1999年に東京・京都で行われたワークショップの音源も聞いた。
バーソロミューは、
- その人が覚醒しているかどうかのシンプルな見分け方は、その人が幸せであるかどうか
と言っていた。
霊的レベルが高いように振る舞っていても、その人自身が幸せでなければ、その人は覚醒していないというのだ。
これは、私にとって、大きな指標となった。
エゴの欲望と魂の願いを一緒にしない
精神世界の本は「どこか遠くにある幻想の天国」へ傾倒するためではなく、地球という現実世界の中で、より幸せに生きるための智恵として使いたい。
バーソロミューが良いのは、「エゴの欲望」の扱い方を、詳しく何度も伝えていること。
「本当の自分の感覚」に沿って生きようと決意したものの、間違って「エゴの欲望」に従って生きてしまったら、人生がメチャクチャになってしまう。
「エゴの欲望と魂の願いを一緒にしない」。
そう思っていると、今この瞬間に湧き上がるエゴの欲望へ細かく対応することは、どうでも良くなる。それは、宇宙空間に漂う塵のように、ささいなことだから。
ふしぎな体験をしたからといって特別視しすぎない
長い人生の中で、「生死に関わるピンチを、見えない力に助けられた」という体験が、何度かある。
先日読んだ「しいたけさん」のブログにも書いてあったが、瞑想に取り組むことで、ふしぎな体験が起こることもある。
そのとき、垣間見た神秘体験がすべてとなって自分を特別視したり、他の人に押しつけたりしそうになる。私たちのエゴは、そういう動きをするものだ。
でも、それをちょっと俯瞰する。
「ああ、私のエゴはそういう反応するんだ」と眺める程度にして、また日々の生活を丁寧に送る。
そういう普通のスピリチュアルが、私は好き。
スピリチュアルはひとりで深める
私には、「檀上に立っている誰かを崇めて、壇の下で教えを乞う」というスタイルが合わないようだ。もともとの孤独を好む気質が影響しているかもしれない。
スピリチュアルは全然きらいじゃない。むしろ好きなほうだ。でも、個人的にひとりで深めていけば良いものだと思っている。
本を読むことは多い。それでも、全部をうのみにして取り入れるわけではない。
繰り返しになるが、スピリチュアルの基本は〈いま目の前にある存在にやさしくすること〉だと思っている。
昨日よりも今日、今日よりも明日……、と、やさしい自分になれるように。
そのためのチャレンジに、スピリチュアルな教えを役立てたい。