今月の質問回答その5。
最近、試練が起きている人が多い?
最近、試練と向き合っている人が多い気がする。そういう星回り?なんだろうか。
ドカンと嫌なことが起きてしまった人、今までのやり方が通用しなくなった人、新しい一歩が踏み出せない人……など、周囲を見わたすと、自分と向き合っている人が多い。
かくいう私も、9月下旬・11月・12月と、ドカンドカンドカンと3連発のダメージを受け、改めて、自分と向き合わされていた。
ちょうど秋分(9月23日)から冬至(12月22日)の期間だ。
ものすごく嫌なことが起きたらネガティブ思考を炸裂させる
「ものすごく嫌なこと」の中身は人によって違うから、必ずしも、これから書くことは、すべての人には当てはまらない。
あくまでも私の場合、という注釈付きで書かせていただきたいと思う。
私は、もともとの思考回路が、ネガティブな方だ。少なくとも、根明なタイプではない。
ものすごく嫌なことが起きたときこそ、このネガティブ回路を炸裂させることにしている。
もっと嫌なことを想像する
炸裂のさせ方はこうだ。嫌なことが起きたら、もっと嫌なことを想像する。ネガティブ思考が得意技なので、すごくたくさん想像できる。
そして、
- 「大難が小難になった」
と思う。
「大難が小難になった」という考え方は、人生のさまざまなピンチや悲しみを、助けてくれた。
もっと嫌なことを起こす代わりに差し出したと思う
“起きてしまった嫌なこと”よりも、“もっと嫌なこと”を想像したら、その“もっと嫌なこと”を阻止する代わりに、“起きてしまった嫌なこと”を差し出したのだと考える。
きっと私は、“もっと嫌なこと”が起きたバージョンの現実で、「どうか●●を差し出しますので、助けてください」と一心不乱に祈ったのだろう。
そして、その祈りが通じたのだろう、と考える。
すると不思議なことに、「ああ、助けられた」という感謝の気持ちが湧いてくる。
ああ、よかった。“もっと嫌なこと”が起きなくて。それだけで、ありがたい。
失ったものより、いま残っているものにガツンと目が行く。よかった、よかった。これがあって。ありがとうございます、と思う。
大切な存在との別れは救いになる考え方を模索する
ひとつ追記すると、生死に関わること、大切な存在との別れに関しては、永久のテーマだなと思う。
文学にせよ心理学にせよスピリチュアルにせよ、先人たちがいろいろな哲学・考え方を発信してくれている。その中で、少しでも自分がホッとできる考え方を取り入れていく。
私もまだまだ道の途中だけれど、死生観については、深く向き合わされる出来事と向き合ってきた。
不思議と必要なメッセージは向こうからやってくるもの。お坊さんに言っていただいた言葉、目に留まって開いた本、たまたま見た動画などから、ヒントをもらって、何とかリカバリーしながら歩いてきた気がする。
罪悪感に押しつぶされそうなときは、近くのお寺や神社にいって、静かに自分と対話する。
いろんなことは起きるけれど、自分の芯とつながってさえいれば、大丈夫。そんなことを実感するようになった。