身体的コンプレックスは主観が過ぎるという再発見

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人と自分を比較して、自分のコンプレックスと感じる点をこき下ろして数十年。

それがいかに主観的過ぎることかと、改めて再発見して愕然とした話。

スタジオレッスンは鏡が大きくて比較しやすい

ジムやヨガなどのスタジオレッスンは、全面が鏡張りになっていることが多い。

  • 「人と比較する幼稚なコンプレックス戦争はもうおしまい」

と思っていたが、鏡張りの箱に放り込まれると、どうしても比較してしまう日がある(未熟だ)。

同じ背丈格好なのに私の方が脚太い

先日、隣に並んだ人の背丈格好が、私とちょうど同じくらいだった。

それなのに私の方が脚が太い。真正面の鏡で見せつけられ、コンプレックスがキィーッと心の中でもたげてきた。

一応断っておくが、コンプレックス戦争は、昔に比べたら随分マシになった。努力の結果、それなりに細い脚を手に入れることもできた。

それでもこうして時々、存在を誇示してくるコンプレックス。おとなしくはなったけれど、消えたわけではないんだな。

上半身は同程度なのに、随分と細いその人の脚と自分の脚を比較して「嫌な気持ち」に浸っていた。

ヨガという自分と向き合うツールの実行中に、他人と比較して落ち込むなんて愚の骨頂だということは重々わかっている。わかっているけれど。

あーあーあー、太い太い太い〜〜。ふっとい!!

……と、久々にイライラしてしまった。

ふと気づいたら私の方が顔が小さい

さて、ここから先は、うまく表現できるかわからないが、書いてみる。

この日はいつもと少し違っていて。

ふと、極細脚の隣の人よりも、私の方が「顔が小さい」ことに気づいたのだ。

それまで、誰と比較するにせよ、自分のコンプレックスである「脚」しか比較していなかった。

ひとつのものさしで判定した結果、圧倒的に自分が人より劣っていると思い込んでいた。

しかし、そうでない「部分」も存在するという発見は、非常に新鮮で驚いた。

完ぺきな人間はいないから当然といえば当然のことなのに、この視点が完全に抜け落ちていた。いかに認知が歪んでいたことか。

ここから思考の変換が起こって、

  • 「もしも隣の人が(私が極細脚に憧れているように)小顔に憧れていて、顔の大きさコンプレックスの塊だったら??」

と、考えてみた。

しかし他人の私から見ると、顔の大きさなんて微々たる差としか思えない。

本人が気にしていたとしても客観的にはまったく気にならない。

  • 「そんなこと気にしているの?ぜんっぜん気にする必要ないよ!第一、そんな美脚を持っているじゃない!」

と声をかけたいくらいだ。

はて。これって、逆でも当てはまるな。

このことについてじっくり反芻しているうちに、ものすごく不思議な気持ちに飲み込まれていった。

私の心が何かに気付き、急速に変化が起きていくときの感覚。

気付きが起きたのは時期が来ていたせいもある

〈人より劣っている「部分」もあれば、そうでない「部分」もある〉という当たり前の事実さえ歪ませる身体的コンプレックスの主観性。

ただし、同じ気付きが10年前の私に起きたとして、今回のように深く感じ入ることができたかというと、そう簡単な問題でもない。

昔だったら、小顔であることさえ、自分のこだわりである身体的コンプレックスを強調するために利用していたかもしれない。

  • 小顔なのに脚が太い自分が恥ずかしい
  • 顔の割に脚が太いと思われるのではないか

……という具合に。

自意識過剰すぎて自分でも呆れるが、本当にそんな思考回路だった。

身体的コンプレックスから卒業するために

身体的コンプレックスを抱えたまま生きるのは苦しい。

つい最近、有村藍里が美容整形したという話題を見ていた。

美容整形も、コンプレックスを解消するひとつの方法だろう。現に、私自身、何度も脚の脂肪吸引を検討した。

リスクを引き受ける覚悟と手術・ダウンタイムの恐怖を乗り越える強さがなかったので、やれなかっただけ。

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切らない脂肪吸引のライポソニックスでお茶を濁したが(こちらの記事)、美容整形のような圧倒的な結果を残せたわけではない。

劣っている部分もあればそうでない部分もあると全体を見る目

結局のところ、強すぎる身体的コンプレックスを美容整形以外の方法で解決するなら、自分の認知を調整していくしかない。

そのとき、

  • 劣っている部分もあればそうでない部分もあると全体を見る目

を意識することが、とても大切なのだと思った。

下品な言い方になってしまうが、誰かと自分を比較して苦しいときは、自分の方が勝っている点を探してみる。

顔が可愛いとか、髪がまっすぐとか、ウエストが細いとか、胸が大きいとか、色が白いとか、もう何でもいい。

私はコンプレックスが強すぎて、ひとつのコンプレックスによって自分のすべてまで否定しており、自分の方が勝っている点を探してみるという視点自体が欠落していたから、ここに気づくだけでも大きかった。

そうやって歪んだ認知を矯正していくうちに、本当に身体的コンプレックスがどうでも良くなっていき、相手のことも自分のことも、本質的な部分を見つめられるようになったら、すてきだと思う。

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